波打際の母娘
信頼資本財団のかけがえのない活動を一枚の写真で表すことは到底不可能だが、その財団が見ている「希望」を表すような一枚であれば見つけられるかもしれないと思った。
そして、KYOTOGRAPHIE京都国際写真祭2017で「Falling Leaves」(のちに「The Absence of Two」に変更)という自身の祖母と自死を選んだ従兄弟との共同生活のドキュメント作品を発表した写真家、吉田亮人のアーカイヴを見せてもらうことにした。
そのアーカイヴには、10年のキャリアの中で、逞しく生きるアジアの労働者や障害者、そして家族たちを彼らと同じ目線で撮影された写真が数多く撮りためられていた。
その中に、南インドの海岸の波打際で水平線に沈む夕日をバックに、無邪気に波と戯れる母娘の幸せな光景を写し出した一枚があった。
素朴な写真ではあるが、ここに写し出された「誰もが手に入れることができるはずの基本的な幸せ」こそが信頼資本財団が見ている希望ではないだろうか。
KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭
共同創始者 / 共同ディレクター
仲西 祐介
信頼資本財団のかけがえのない活動を一枚の写真で表すことは到底不可能だが、その財団が見ている「希望」を表すような一枚であれば見つけられるかもしれないと思った。
そして、KYOTOGRAPHIE京都国際写真祭2017で「Falling Leaves」(のちに「The Absence of Two」に変更)という自身の祖母と自死を選んだ従兄弟との共同生活のドキュメント作品を発表した写真家、吉田亮人のアーカイヴを見せてもらうことにした。
そのアーカイヴには、10年のキャリアの中で、逞しく生きるアジアの労働者や障害者、そして家族たちを彼らと同じ目線で撮影された写真が数多く撮りためられていた。
その中に、南インドの海岸の波打際で水平線に沈む夕日をバックに、無邪気に波と戯れる母娘の幸せな光景を写し出した一枚があった。
素朴な写真ではあるが、ここに写し出された「誰もが手に入れることができるはずの基本的な幸せ」こそが信頼資本財団が見ている希望ではないだろうか。
KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭
共同創始者 / 共同ディレクター
仲西 祐介
CURATION by
KYOTOGRAPHIE
PHOTOGRAPHER
吉田 亮人
1980年宮崎県生まれ。京都市在住。滋賀大学教育学部卒業後、タイで日本語教師として1年間勤務。帰国後小学校教員として6年間勤務。2010年より写真家として活動開始。広告や雑誌を中心に活動しながら、「働く人」や「生と死」をテーマに作品制作を行い国内外で高く評価される。写真集に「Brick Yard」「Tannery」(以上、私家版)、「THE ABSENCE OF TWO」(青幻舎・Editions Xavier Barral)などがある。2021年、写真家としての10年間の活動を綴った書籍「しゃにむに写真家」(亜紀書房)が刊行。日経ナショナルジオグラフィック写真賞2015・ピープル部門最優秀賞など受賞多数。
http://www.akihito-yoshida.com
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買い物(The Absence of Twoより)
吉田亮人が故郷の宮崎にふたりで暮らす祖母と従兄弟の日常生活を撮ったシリーズ「The Absence of Two」から、ふたりがよく一緒に買い物に行ったスーパーマーケットでの一枚。
ふたりの何でもない日常を撮ろうと思い立ったのは2011年。それから約3年間撮り続けることになるが、お互いを支え合ったかけがえのない時間は、ある日突然思いもしない形で結末を迎える。
自死を選んだ従兄弟とそれを追うように亡くなった祖母の生きた証を残したいと、家族の反対もありながら一冊の本「The Absence of Two」にまとめた。
本作はKYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭 2017のメインプログラムのひとつとしても展示され、多くの来場者の心を打った。
吉田亮人が故郷の宮崎にふたりで暮らす祖母と従兄弟の日常生活を撮ったシリーズ「The Absence of Two」から、ふたりがよく一緒に買い物に行ったスーパーマーケットでの一枚。
ふたりの何でもない日常を撮ろうと思い立ったのは2011年。それから約3年間撮り続けることになるが、お互いを支え合ったかけがえのない時間は、ある日突然思いもしない形で結末を迎える。
自死を選んだ従兄弟とそれを追うように亡くなった祖母の生きた証を残したいと、家族の反対もありながら一冊の本「The Absence of Two」にまとめた。
本作はKYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭 2017のメインプログラムのひとつとしても展示され、多くの来場者の心を打った。
CURATION by
KYOTOGRAPHIE
PHOTOGRAPHER
吉田 亮人
1980年宮崎県生まれ。京都市在住。滋賀大学教育学部卒業後、タイで日本語教師として1年間勤務。帰国後小学校教員として6年間勤務。2010年より写真家として活動開始。広告や雑誌を中心に活動しながら、「働く人」や「生と死」をテーマに作品制作を行い国内外で高く評価される。写真集に「Brick Yard」「Tannery」(以上、私家版)、「THE ABSENCE OF TWO」(青幻舎・Editions Xavier Barral)などがある。2021年、写真家としての10年間の活動を綴った書籍「しゃにむに写真家」(亜紀書房)が刊行。日経ナショナルジオグラフィック写真賞2015・ピープル部門最優秀賞など受賞多数。
http://www.akihito-yoshida.com
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井戸水を汲む村人
吉田亮人が人生を賭けて小学校教員を退職し、写真家の道を歩み出したばかりの黎明期時代の作品。「自分が何を撮りたいのか」「何に心が動かされるのか」まだわからないままインドを旅した。デリーからムンバイまで約2500㎞を2ヶ月間かけて「自転車」のみで走破する旅は過酷そのものだったが、道中ガスも水道もない昔ながらの牧歌的な生活を営む人々の中に入り、彼らと触れ合ううちに自分の知らなかった世界の扉が少しづつ開いていった。同時に、目の前に広がるごく当たり前の、何でもない生活やささやかな物事を見つめ、それらを感じることがとても幸せに思えた。
この感覚こそが自分の写真家活動にとって、とても大切なことだと自覚した。
吉田亮人が人生を賭けて小学校教員を退職し、写真家の道を歩み出したばかりの黎明期時代の作品。「自分が何を撮りたいのか」「何に心が動かされるのか」まだわからないままインドを旅した。デリーからムンバイまで約2500㎞を2ヶ月間かけて「自転車」のみで走破する旅は過酷そのものだったが、道中ガスも水道もない昔ながらの牧歌的な生活を営む人々の中に入り、彼らと触れ合ううちに自分の知らなかった世界の扉が少しづつ開いていった。同時に、目の前に広がるごく当たり前の、何でもない生活やささやかな物事を見つめ、それらを感じることがとても幸せに思えた。
この感覚こそが自分の写真家活動にとって、とても大切なことだと自覚した。
CURATION by
KYOTOGRAPHIE
PHOTOGRAPHER
吉田 亮人
1980年宮崎県生まれ。京都市在住。滋賀大学教育学部卒業後、タイで日本語教師として1年間勤務。帰国後小学校教員として6年間勤務。2010年より写真家として活動開始。広告や雑誌を中心に活動しながら、「働く人」や「生と死」をテーマに作品制作を行い国内外で高く評価される。写真集に「Brick Yard」「Tannery」(以上、私家版)、「THE ABSENCE OF TWO」(青幻舎・Editions Xavier Barral)などがある。2021年、写真家としての10年間の活動を綴った書籍「しゃにむに写真家」(亜紀書房)が刊行。日経ナショナルジオグラフィック写真賞2015・ピープル部門最優秀賞など受賞多数。
http://www.akihito-yoshida.com
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