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関係先インタビュー

INTERVIEW
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Home 関係先インタビュー 休眠預金助成先インタビュー記事 -7-

■認定NPO法人TSC
●同団体プログラムオフィサーサポーター 青木 晴人

 

休眠預金による助成先と各団体の伴走者(プログラムオフィサーサポーター=POS)にインタビューして作成した記事を掲載しています。
各団体のインタビュー記事はPOSが、POSのインタビュー記事はプロジェクトチームである「チーム・Dario Kyoto」が行いました。

地元高島市に自然体験型フリースクールを!
認定NPO法人TSC

認定NPO法人TSC(高島スポーツクラブ)は、滋賀県高島市で、17種目のスポーツプログラムを運営しながら、イベント開催など地元企業と連携した地域おこしに取り組んでいる団体です。

代表の北川渉さんに、これまでの取り組みについて伺いました。

北川さんの話を聞く子どもたち

 

今までの常識を覆す学びを「未来のある子どもたちに伝えたい」!

北川さんの夢は、小学4年生で野球チームに入ったときから、プロ野球選手になることでした。投げることに自信があったので、ピッチャーとしてプロになりたいと思ってプレーしていましたが、当時はエースが連投するのが当たり前の時代。度重なる肘のけがに悩まされながらの野球人生となり、高校3年の夏の大会ではピッチャーではなくショートとして出場したそうです。ピッチャーができないならプロ野球選手になるのは無理だという想いがあり、進路を考えるタイミングで自分の人生を再設計することになりました。

そもそも、プロ野球選手になりたいという夢の原点は、「人に影響を与えられる存在になりたい」という想いから。プロ野球選手以外に影響を与えられる存在を思い浮かべたときに、スッと心に降りてきたのが経営者という存在でした。そこから、経営者になるために何の事業をすべきかを考え、一番しっくりきたのがスポーツに関わる事業だったのです。

自分自身がけがで苦しんだ経験もあり、何かスポーツで影響を与えるようなことがしたいと思い、専門的な大学に進んで学ぶという道を選びました。いくつかの体育系大学のオープンキャンパスに参加しましたが、ピンとくるところがなく決めかねていたとき、ふと調べてみたのが、当時開校1年目で、自宅から車で30分というびわこ成蹊スポーツ大学でした。体育ではなくスポーツという名前がついた日本初の大学であり、アメリカで経営学を学んだ先生が教えるスポーツマネジメントコースもあると知って、「ここだ!」と直感で決め、入学することになりました。

大学でも、一応やっておこうというレベルで野球を続けることにして、創部したばかりの野球部に入部しました。大学での専門的な講義や、野球部を通じて出会った元プロ野球選手のコーチからの学びは、今までの自分の常識を覆すような内容で、ピッチャーはあきらめ、野手としてプレーしていた自分自身の野球のレベルがどんどん上がっていくことを感じました。プロをあきらめた自分が今さら教わっても「すでに時遅しだな」と感じると共に、これは未来のある子どもたちに直接伝えてあげることができれば、夢を叶える子どもが誕生するのではないかという想いが湧き上がってきました。当時はまだ珍しかった塾スタイルのスポーツ教室を立ち上げれば事業としても成立するはずと思い、大学2年生の秋から構想をまとめ、仲間集めを始めました。地元の仲間や大学の同級生、そして先輩・後輩、さらには大学の先生もアドバイザーに迎えるなど、想いに共感してくれる仲間が集まりました。

そして大学3年生の4月に、野球とバレーボールの2種目のスポーツ教室を開校する”TAKASHIMA SPORT CLUB”を立ち上げ。卒業するタイミングでNPO法人格を取得し、同じゼミの友人も職員として参画してくれ、設立2年で会員数100名を突破するなど、順調なスタートを切りました。

当時はまだ、スポーツ教室への理解は低く、既存スポーツ団体さんとの関係構築には苦労しましたが、実績を重ねることで、少しずつ地域に受け入れてもらえるようになっていきました。「そのことがとてもうれしかったですね」と、北川さんの笑顔がこぼれます。

 

子どもたちが生き生きと過ごすことができる居場所を提供したい

現在は、17種目のスポーツプログラムを運営しながら、イベント開催など地元企業と連携した地域おこしに取り組んでいます。その一環として、2020年1月に取得した約1,600坪の土地を、自然体験ができる公園「TSC PARK」として活用する構想を立てました。同時に、教育分野で自分たちが地域課題の解決に向けてできることとして、学校をつくりたいという想いも持っていました。

不登校児童生徒の増加が社会問題となり、新型コロナウイルスの影響もあって、さらに深刻な問題へと加速している背景から、地域にフリースクールの存在が必要だと強く感じた北川さん。今回の休眠預金助成を活用し、2021年10月フリースクールを開校しました。

北川さんは以前から、TSC会員の保護者より「実は子どもが学校に通っていないんです」という相談をたびたび受けていました。集団生活が苦手だったり、心に傷を抱えていたり、その理由はさまざまですが、不登校になる子どもが多いという状況は、肌で感じていたそうです。

しかし、好きなことに夢中になっている活動中の子どもたちは、一見何の問題もないように、北川さんの目には映っていました。自分が興味のあることに夢中になれることは大きな才能であり、学校という環境に合わないだけで、その感性を否定されたように感じてしまう今の教育環境に疑問を感じました。

そこにきて、新型コロナウイルスの影響により、マスク着用が通常化することでの息苦しい学校生活、相手の表情が見えない、楽しみにしていた行事が中止になるなど、友だちをつくるきっかけを失うことで、「無価値感」や「孤立」が生み出されていました。そうして不登校児童生徒の数がさらに増加傾向を強めている状況に、北川さんは心を痛めていたのです。

不登校児童生徒や、学校に行くことをストレスに感じて、遅刻や早退を通じてSOSを出している子どもたちにとって、学校や家庭以外の居場所を提供し、自然や地域と交わることで日々のストレスから解放され、生き生きと生活できる環境が必要だと考えるようになりました。

 

野外活動中の子どもたち

 

休眠預金事業が可能にする、子どもたちのサードプレイスづくり

北川さんは語ります。「休眠預金助成を活用し、スポーツ・アート・音楽などを学ぶ感性教育、キャンプや自然観察を通じた環境学習、さらには農業体験や漁業体験といった地域社会との交流も通じて、子どもたちが生き生きと過ごすことができる自然体験型フリースクールをめざしています。学校以外の学びの場としての居場所を提供したいんです。まだ開校して間もないので、大きな募集は行っていません。今通ってくれている子どもたちを大切にしながら、少しずつ口コミで広がっていくことを期待しています」、と。

 

 

インタビューをしたPOS青木より

北川さんは、企業協賛を集める際も、「協賛してくれた会社に必ず損はさせない、恩返しをしよう」と取り組むことで、互いの信頼をより強いものにしています。子どものための事業ではあるけれども、そのために他の誰かにしわ寄せがいくのではなく、なるべく出会ったすべての人に幸せをもたらそうという高い志を持った人です。
北川さんの言葉には力がみなぎっており、訪問すると話が楽しくて、事業伴走業務をする立場とは言いながらいつも聞き入ってしまいます。今回も楽しくインタビューをさせてもらいました。

 

 

Information

団体名:認定NPO法人TSC
住 所:滋賀県高島市今津町名小路1丁目6−5
HPアドレス:https://www.tsc-presents.jp/

取材日:2021年10月17日
聞き手:青木 晴人

 

認定NPO法人TSC/合同会社SOULS プログラムオフィサーサポーター 青木 晴人

 

事業家らしからぬ穏やかな印象の人-その内に秘めたものとは

事業家の父親の背中を見て育った青木晴人さん。「好きな仕事に就けばいい」と、特に後継を期待されていたわけではありませんでしたが、自由に過ごした学生生活の終わりに決めた進路は、家業を継ぐことでした。

青木さんが代表取締役を務めている(株)朝日商事は、貸ビル業を中心にスポーツクラブも経営しています。今回の休眠預金助成事業でサポーターとして関わることになった団体のひとつも、地域貢献を掲げて活動するスポーツクラブです。スポーツつながりのご縁だけれど、自身はスポーツマンというわけではなく、「それどころか、実は子ども時代から全くスポーツに取り組んでこなかった」のだそう。また、穏やかな佇まいとやさしい語り口調には、企業経営者としての厳しい一面を微塵も感じさせません。

インタビュアーが想定する既定路線を裏切るギャップに、かえって、内にどのような想いを秘めているのか、興味をそそられる青木さんです。

 

“健康”でしあわせの良循環を生む、フィットネス事業

無限にある選択肢から家業を選んだ青木さんに、父親が投げかけた言葉は「すぐには継がせない」という厳しいものでした。そこで大学卒業後、経営コンサルティング企業に就職。小売部門に所属して、リサーチやマーケティングに携わりました。「競合他社の商品をくまなくチェックし、差別化の提案につなげる仕事。当時のコンサル業は、『利益を上げてなんぼ』のシビアな世界。現代の企業像とは全く違いました」と、当時のビジネス観を振り返ります。
仕事に行き詰まりを感じはじめた頃、父親が所有する先斗町のビルが火災に見舞われたことをきっかけに退職。朝日商事の一社員として、社長である父と共に復旧に力を注ぐことになりました。その後も前向きに事業に取り組み、2003年に代表取締役就任。「同時に会長職となった父は徐々に、本当に徐々に、事業から手を引いていきました」。青木さんが笑い話のように語るエピソードに、慎重で堅実な父と、ゆっくりだけれど着実に成長を遂げる子の姿が浮かんでくるようです。
不動産業とスポーツクラブ運営という二本柱で事業展開する朝日商事。現社長である青木さんが、創業者の父親に対してつくづく思うのが「よくぞスポーツクラブを手がけてくれた」ということ。「不動産業にはどうしても金儲けのイメージがつきまとい、フィットネス事業ほどには社会貢献できていると実感できないんですよね」と、スポーツクラブ運営の喜びを語ります。さらに、「会員を健康にすることで、従業員が幸せになる。それが一番うれしい」と、本音をぽろり。顧客、スタッフ、経営者でハッピーを良循環させるこの事業には、ひときわやり甲斐を感じるようです。

 

社会事業への目覚めと、豊かな学びをもたらしてくれたA-KIND塾

ぼんやりと胸にあった社会貢献への想いは、ある出来事をきっかけに鮮明化することになります。それは、京都市ソーシャルイノベーション研究所所長である大室悦賀先生の講演を聴いたこと。そのとき、青木さんに衝撃が走ったのです。

「当時はまだ一般的ではなかった“SDGs”のワードも用いた革新的なお話で、これまでの自分がかたちづくってきた、社会やビジネスに対する既成概念が覆されたんです」。このような実のある話をもっと聞きたいとの想いに駆られた青木さんは、学びにふさわしい場を熱心にリサーチ。大室先生の関連ページをネットサーフィンしていたところ、ふと目に留まったのが、A-KIND塾の記事でした。

すぐさま「望むものが、ここにあるのではないか」と直感。そしてその直感は、入塾後に確信へと変わりました。社会貢献事業が、人の手腕やアイディア次第で、助成金に頼らずとも成り立つものとなる。商いを通じて、社会課題を解決する。その発想は、青木さんにとって目から鱗でした。

さらに、同期生との横のつながり、同じ卒塾生という縦のつながり。志は同じでも、立場や仕事、思考回路が異なる多様な人々との出会いが、青木さんを新たな世界へと連れ出してくれました。実際に社会事業に乗り出して成果を上げている卒塾生の姿は、青木さんにとってとてもまぶしい存在です。

 

社会課題の解決に最前線で取り組む人たちに刺激を受けて

「自分も何か、始めなくては」。そんな焦りのなかで声が掛かった休眠預金助成事業プログラムオフィサーサポーターの仕事は、青木さん曰く「渡りに船」でした。自分に務まるだろうかという不安もありましたが、最前線で社会課題の解決に取り組む人々との出会いに期待する気持ちのほうが大きかったのです。

今回の事業における任命サポーター14名のうち、青木さんだけが2団体を担当。そのひとつ「TSC」さんは、スポーツを通じた地域貢献をめざし、15年にわたって滋賀県高島市に根を張ってきた団体です。情熱だけではどうにもならない厳しい現実からも逃げずに向き合い、ここ数年でようやく運営が軌道に乗ってきたと言います。しかし、これで満足しないのが、社会事業家の心情であり信念なのでしょう。活動のなかでたびたび耳にしてきた不登校などの親子の悩みに応えたいと、このたびフリースクールの設立を計画。スポーツの枠を超えた新事業にさらなる力を必要として、休眠預金助成事業に手を挙げました。青木さんはその活動に伴走し、見守るスタンスで団体に寄り添っています。

また、もうひとつの担当団体「SOULS」さん(インタビュー記事は後日掲載)は、奈良県天理市にある合同会社。地域資源を活かした教育や仕事、多世代交流の場を創出しようと多彩な活動に取り組んでいます。コロナ禍に陥って交流が途絶えがちな今だからこそ、コミュニティカーで地域を回り、耕作放棄地を活用した食の事業を立ち上げようとしています。「国民の大切な資産が投入されるのだから、監査的な役割は必須。さらなるサポートにも喜んで取り組みたいと思っているのですが、どちらも実績と運営手腕を兼ね備えた団体なので…」と、苦笑します。

それでも青木さんは、高島市にも天理市にも、こまめに足を運びます。「団体さんの熱い想いに共鳴し、大いに刺激を受けています。話を聞いていると、こちらまで幸せな気持ちになるんです」。青木さんの心の奥に、確かに存在している社会事業への意欲。もしかすると今回のサポート活動は、それをアクションへとつなげてくれる好機となるかもしれません。

社内会議にて

PROFILE 青木 晴人(AOKI Haruhito)

大学卒業後、大阪に本社を置く大手経営コンサルティング会社に入社。小売部門でリサーチやマーケティングに携わる。退職後、(株)朝日商事に入社。創業者である父から後継を任され、2003年に代表取締役社長に就任する。先代より所有する不動産の賃貸業と共に、スイミングやダンス、ヨガなど多彩なレッスンを提供する「京都スポーツクラブ イリアス」を運営。人と人との「つながり」を大切に、顧客にも社会にも貢献できる企業運営に邁進している。

(公財)信頼資本財団A-KIND塾2期卒塾。

 

取材日:2021年9月7日
聞き手:チーム・Dario Kyoto