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関係先インタビュー

INTERVIEW
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Home 関係先インタビュー 休眠預金助成先インタビュー記事 -6-

■一般社団法人無限
●同団体プログラムオフィサーサポーター 岩崎 仁志

 

休眠預金による助成先と各団体の伴走者(プログラムオフィサーサポーター=POS)にインタビューして作成した記事を掲載しています。
各団体のインタビュー記事はPOSが、POSのインタビュー記事はプロジェクトチームである「チーム・Dario Kyoto」が行いました。

福祉の枠を超えた地域の居場所づくり・しあわせづくりに挑戦
一般社団法人無限

2021年8月、奈良県生駒市に一般社団法人無限を立ち上げてちょうど10年。その間に、本当に多くのチャレンジがあったと言います。現在は、障害福祉事業所を3ヶ所、障害者就労継続支援B型事業所の1ヶ所を運営している代表理事の石田慶子さんにお話を伺いました。

 

「まほうのだがしやチロル堂」誕生までの物語

今回の事業の最初の動機は、お友だちの溝口さんが運営する生駒の子ども食堂「たわわ食堂」を維持継続させたい、という想いでした。「たわわ食堂」は決まった場所を持たず、公民館などを使って子ども食堂を続けてきましたが、場所を借りるには費用が必要だったこともあり、月に1、2回という頻度での開催にとどまっていました。ここを何とかしたい、そのため自分が場を持ち、「たわわ食堂」に無償で提供したいという想いが募っていきました。石田さんにとって「たわわ食堂」は、自分がやりたくてもできないことを実現している素晴らしい団体でした。6年にもわたるボランティアさんとの関係づくり、家から出てこられないひとに向けて食事をお宅に運んで届けるという活動…。「たわわ食堂」のこの熱意と行動力に、石田さんは敬意を抱いていたのです。

そこで、奈良県に本拠地を置く4団体が集まって、構想・企画・準備を行うことにしました。言いだしっぺは石田さんと、「たわわ食堂」の溝口さん。そこに「こどもあとりえ」を運営する「アトリエe.f.t.」のダダさんと、東吉野村に拠点を置き、地域づくり、ソーシャルビジネスのデザイン、ディレクションを行ってきた「合同会社オフィスキャンプ」の坂本さんが合流しました。

「元々アトリエe.f.t.とオフィスキャンプさんとは別件で知り合っていたのですが、今回の新しい居場所づくりを考えたとき、私と溝口さんの力だけで場づくりを考えるべきではない、と感じていました。地域活動を行うためには、福祉事業家だけの視点では偏りがあります。地域の人たちにその趣旨をどう表現し、どんな仕組みをつくるのか、それを設計するにはデザイナーやアーティストの力が必要だと思っていたんです」と石田さん。

みんなの想いは、「子どもたちを支援したい!」ということ。そのために「自走できるビジネスモデルをつくろう。それぞれの枠組みを超えて、家庭、学校以外の第三の場所をつくることで、地域のどんな子どもたちにも豊かになってもらえるようにしよう!」 これが、四者共通のモチベーションでした。

 

障害のあるなしにかかわらない“みんなのしあわせ”をどうつくっていくか

石田さんは自らの使命を、「生きづらさを抱える人のしあわせをどうつくっていくのかということ」だと語ります。しかしながら、それをやればやるほど「福祉の壁」に阻まれるとことが起こりました。「簡単に言うと、障害の有無、子どもか大人か、貧困かそうでないか…といったカテゴリー分けで福祉の制度ではやれることとやれないことが決まっているのです。しかし、当事者の困りごとの多くは、多面的であり、重複しています。にもかかわらず、『これ以上は支援サービスの外にある』という制度の壁に阻まれて、その人の問題が解決されないままに切り捨てられていく場面をたくさん見てきました」。

だからこそ“どんな人でも集える場をつくる”という想いから、「まほうのだがしやチロル堂」というアイディアが生まれました。
「まほうのだがしやチロル堂」に来た子どもたちは、まず入り口にあるガチャガチャに100円を入れてダイヤルを回します。出てくるのはチロル堂のなかだけで使うことができる「チロル札」。チロル札は、大人たちが有名な地元生駒特産である竹を切り出しに行くところからはじめ、一つずつ削り出して作ったもの。

カプセルのなかに入っているチロル札が、時に2枚であったり、3枚であったりするのが、まほうのだがしやの1つ目のまほうです。

出てきたチロル札で駄菓子を買っても良いし、子どもカレー(現金価格500円)や、手づくりのポテトフライ(現金価格300円)が食べられたりもします。これがチロル堂の2つ目のまほうです。

もちろん子どもたちはお金を持っていなくても奥の間でボードゲームをしたり宿題をしたり、本を読んだり、思い思いに過ごすこともできます。

2枚目や3枚目のチロル札や、500円のカレーを1チロルで食べることができるまほうを生み出すのは地域の大人たちです。チロル堂ではお昼にはお弁当やカレーを提供し、カフェタイムには手淹れしたコーヒーを提供しています。それら、チロル堂で提供される大人向けの飲食メニューにはすべて「チロル(寄付)」が付帯しています。大人たちはチロル堂で美味しいものを食べ、楽しい時間を過ごすことと、この場の運営に「寄付をする」ということを同時に実現していることになるのです。「子どもたちの居場所を地域の大人たちが支える」という経済的自走の仕組みをチロル堂で実現したいというのがみんなの想いです。

 

チロル堂の駄菓子を楽しみに集まってきた子どもたち

 

休眠預金事業との出会い

前述のように、福祉の枠組みのなかで地域活動をすることに限界を感じていた石田さんは、およそ2年もの間プランニングをしながら場づくり実現の機会を待っていました。

休眠助成事業緊急コロナ枠の情報を知り、溝口さんと話し合って、寄付文化の醸成というコンセプトが固まり、事業の持続性も見え申請に至りました。まずのゴールは、子どもたちの居場所になるこの「チロル堂」をつくること。どんな人でも集える場をつくることや、活動内容は、「チロル堂のオープンによって表現できたと思います」と石田さん。

これからの「チロル堂」については、こんな夢を持っています。「この場を地域の人に開放することで、そこに集った大人たちの間で、『自分たちのしあわせな生き方とは?』なんて話ができる場所になったらいいなと思うんです。信頼資本財団の熊野さんが言うように、『人はみんな弱い生き物』。それを、恥ずかしいと思わずに言える時代が来たんじゃないの、という感じがあるじゃないですか(笑)。誰しもみな弱いという原点に立ったとき、新たに『じゃあどうやって生きるの?』という視点に立つでしょう。その弱さとちゃんと向き合っている大人じゃないと、本質的には子どもをしあわせにできないと思うんです。だから、チロル堂は子ども向けの場所というのはもちろんそうなんだけど、本心は、そこに集った大人の心を育てる場だと思っています」。

「そんな場所になったらいいな、それが、ひいては未来の子どものためになる。私たち大人は、今から子どもたちのために何かを頑張る!ということではなく、むしろ、いろんなものを手放すという感覚かな」と、石田さんは笑います。

 

「チロル堂」のこれから

石田さんには、全国にこのチロルという寄付の仕組みが広がったらいいな、というスケールの視点ももちろんあります。しかしながら、生駒のこの場所で、人がどんなふうに出会い、どう育まれていくのかというミニマムな可能性の方にこそ、興味があるのだとか。

他地域への展開について聞くと、「特に大きな展望は持っていません。ここがどう育つのかを楽しみたいんですよ。想定しちゃうと面白味がなくなるというか、想定外のことがどう起こるのかということをこそ、楽しみたい。だって、人生において、どんな人に出会うのかということが大事でしょ」と。石田さんの一番の仕事は、本人が笑顔で言う通り、「この場に多様な人を連れてくること」かもしれません。

こんな石田さんがいる「チロル堂」に、ぜひ一度足を運んでみてください。

 

 

インタビューをしたPOS岩崎より

お話を伺っているうちに共感から鳥肌が立ちました。「誰しもみな弱い」という視点に立ち、一緒に社会を創っていきたい、と強く感じました。

 

 

Information

団体名:非営利型一般社団法人無限
住 所:奈良県生駒市小平尾町57-1
HPアドレス:https://mugen-mugen.com/

連絡先:TEL 0743-85-6664  FAX 0743-85-6998

取材日:2021年10月7日
聞き手:岩崎 仁志

 

同団体プログラムオフィサーサポーター 岩崎 仁志

 

組織運営もサポート活動も-忖度しない言動で対等な関係性をめざす

アパレルブランド「SPINNS」のアルバイト店員から、キャリアをスタート。そのとき二十歳だった岩崎仁志さんは、数十年を経た現在、ブランドの母体である(株)ヒューマンフォーラムの代表取締役社長を務めています。

お話を伺うなかで、投げかけた言葉に返ってくる率直な反応に、サクセスストーリーの裏側にありがちな野心やストイックさよりも、偽りのないまっすぐな人柄を感じます。「言いたいことははっきり言う」「空気を読まない」。岩崎さんは自らのことをそんなキャラクターだと紹介します。

若い頃は「生意気」と捉えられた上下関係で忖度しない言動は、自身がトップに立った今、フラットな関係性の組織づくりに活かされています。さらにプログラムオフィサーサポーターの活動でも、遠慮なしの意見とアドバイスで、NPO法人に新しい風を吹き込みます。

 

アルバイト時代から海外へ-誤解されやすい性格でトラブルも

アルバイトの頃から、社員に対して自分の夢ややりたい仕事を好き勝手にアピールしていたという岩崎さん。その夢のひとつが、海外での買い付け業でした。「ならば、やってみる?」と、社員に同行してアメリカへ。「肝が据わっている」という自己評価通り、あれよあれよという間に、アメリカやヨーロッパを単独で飛び回るバイヤー生活に突入したと言います。

正社員になって本社で仕事をするようになると、今度は臆せずものを言う性格が周囲の反感を買うことになりました。社内での居心地が悪くなり、再び渡米。「新会社立ち上げの名目でしたが、要は人間関係に悩んで海外へ逃げたんですよね」と振り返ります。

しかし、そのアメリカでの仕事ぶりが遠く離れた日本での評価へとつながりました。事業を後任者に引き継いで帰国する頃には、人間関係のわだかまりも溶けていたのだそうです。「悪気がないことを周囲の方が理解してくれたのだと思います」。辛酸をなめて言動を改めたのかと問うと、答えはNO。「昔も今もこの性格」と軽やかに笑います。

 

メンタルに堪えたトップとしての試練-不覚の涙が社風を変えた

あるとき前社長が「社員一人にひとつずつ事業の立ち上げと運営を任せたい」との方針を掲げたことがあり、これを受けて岩崎さんが目をつけたのが、海外セレブリティのファッション文化でした。これが、自由で開放的な海外のライフスタイルを表現する「GALLERIE」の誕生につながります。数字との睨めっこが得意な岩崎さんの手腕によって、このコレクションは社内で唯一収益化に成功した事業となりました。

やがて次期社長を打診されると、「子会社化した『GALLERIE』の社長ならば受けてもいいが…」と躊躇います。しかし、組織を分離させて互いに責任を放棄するのはよくないとする前社長の考えに納得。「ここは、流れに乗ってみよう」と承諾したものの、それは試練の始まりでした。

ヒューマンフォーラムでは年に一度、全スタッフが集まる「やったるで総会」が開かれます。岩崎さんが社長に就いて2年目の総会でのこと。就任以来ずっと続く業績不振を気に病んでいた岩崎さんは、若いスタッフたちの面前で「不覚にも」泣いてしまったのです。ところが、まさかの社長が泣き出す展開が、スタッフの「やったるで」マインドを刺激。一人ひとりが経営を自分ごとと捉えて奮起し、業績は上向きに転じました。数字を睨んでいるばかりでは気づけなかったマンパワーを思い知らされたこの出来事を、「あのとき涙を見せたことが、僕の一番の功績かも」と、岩崎さんは冗談交じりに話します。

しかし、スタッフが自由に発言・提案し、実践できる社風は、虚勢を張らず感情をストレートに表に出すトップの姿あってこそ、構築できたものに違いありません。

 

友人同士の助け合いを超えて-サポーターの仕事は、信頼資本財団にやっと叶った恩返し

信頼資本財団の社会事業塾への参加もまた、岩崎さんの生き方や考え方に大きな影響を与えた経験でした。まずは、熊野塾長の人間性に強く惹かれたこと。さらに、そこで得られる学びと人の輪についても「コストに対してリターンが大きすぎる!」と驚くばかりだったと振り返ります。

だからこそ、卒塾後も力になりたいと、相談やお手伝いなどを積極的に引き受けてきた岩崎さん。しかしそのどれもが、友人関係の延長線上にある助け合いの粋を超えず、どこかでもどかしさも感じていました。

そんな想いを抱えるなかで回ってきたのが、休眠預金活用事業のプログラムオフィサーサポーターの任務です。「やっと恩返しができる!」と心を躍らせて快諾。「自分がやりたくてやったことが、結果的に誰かや社会のためになったとすれば、こんなに素晴らしいことはない」。常々頭のなかで描いていたことが、ようやくかたちになるかもしれないと期待をふくらませます。

 

経営者とNPO-互いの目線とマインドを交錯させる活動

岩崎さんが担当する(一社)無限は、子ども食堂などの活動を通じて、社会制度の網から漏れ落ちてしまう弱者を支援する団体です。青年時代から国内外を飛び回ってきた岩崎さんにとっても、本格的には初めて関わるNPO法人の世界でした。誰かの役に立ちたいという熱い想いをバックボーンに、チャリティやボランティアで成り立つ現状。弱者の立場を自分に置き換えて汗をかく姿勢には、素直に「凄い」と思う反面、活動継続に必要な資金をはじめとした資本の確保については欠落していることもあると感じるのだとか。

そこで岩崎さんは、団体の活動から収益の柱になりそうなものを洗い出すところからスタート。そこに、新しい発想やシステムを盛り込んでブラッシュアップし、活動全体の資金源として確立させようとしています。

ビジネス畑を渡り歩いてきた企業経営者と、社会貢献をめざすNPO法人。この事業がなければ接点がなかったであろう“人”と“世界”が交わり、変わっていく光景がここにあります。今回の他の団体の支援でも見られるように、こうした組み合わせこそが、社会課題への取組みと事業経営の両方を経験した人たちが集まる(公財)信頼資本財団ならではの伴走支援の一つのあり方です。互いの得意分野を活かし、苦手なところを補い合うこの関係から、何かが生まれる予感がします。

mumokuteki goods&wearsの店頭にて

PROFILE 岩崎仁志(IWASAKI Hitoshi)

1995年、アパレルブランド「SPINNS」の高松店にアルバイトスタッフとして入社。ショップ店員から店長、やがて海外を飛び回るバイヤーとして活躍する。その後、母体である㈱ヒューマンフォーラム社員としてアメリカで古着の卸会社を設立。帰国後の2007年、新事業として「GALLERIE」を立ち上げる。2014年、代表取締役社長に就任。仲間同士のつながりのなかで、ユニークかつ幸せな働き方、生き方をともに創っていく「生き方共創企業」を掲げて、企業運営に取り組んでいる。

(公財)信頼資本財団A-KIND塾3期卒塾。3期塾頭。

 

取材日:2021年9月2日
聞き手:チーム・Dario Kyoto