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<卒塾生同士だから聞ける・話せるインタビュー>

井上 良子さん:A-KIND未来設計実践塾7期(2021年度)卒塾生

インタビュアー:A-KIND塾5期卒塾生・同期塾頭 G5designs大槻彦吾さん

 

今回は、井上良子さん(A-KIND未来設計実践塾7期生)の話をお聞きしました。

ビジネスと人権というテーマをポジティブでクリエイティブに

京都市のSILK(京都市ソーシャルイノベーション研究所)で、非常勤のイノベーションコーディネーターとして働いて2年目です。決められた仕事はなく、地域の人や企業さんとのオープンイノベーションを促進するためのコーディネートをしています。

メインの所属は世界人権問題研究センターという公益財団法人なのですが、色々な大学の教授や研究員との共同研究をする組織で、2021年に立ち上がった“ビジネスと人権”というテーマの専任研究員として働いています。ビジネスと人権では、例えばファストファッション業界で一部見られるような、下請け工場での人権侵害や最近問題視されたウイグル自治区での綿花労働の問題などを領域として扱います。企業が経済活動をグローバルに展開する上で引き起こしてしまう環境問題や人権問題を、法律的にどう解決できるか、その国際的な取り決めのための研究が中心となります。
もともと法学部出身なので、法律的なバックグラウンドはあります。一方、社会人になって約10年間実践を積んできたのは、ソーシャルイノベーションの創出に伴走する中間支援の領域でしたから、ビジネスと人権という分野でも、どちらかというと実践的なテーマを研究したいと考えています。
「人権問題」と言えば、企業側からすると「ルールを守らず侵害した」とされた時に罰則があるから、そうならないようにしようという守りのエネルギーになりがちです。ルールづくりも大事な反面で、例えば多様性のある働き方を整備するということも、人権を守ることになります。企業側が関わるすべての人のクリエイティビティをもっと積極的に活かすような視点で動けるようになるための事例などを研究していきたいと思っています。

"SILKオープンデー"での相談会の様子

ー法学部出身の井上さん。しかし学んできた法律関連の仕事ではなく、ソーシャルイノベーション促進分野に関わるようになったのはどのような経緯があったからでしょう。

 

人生のハードル、そしてアジア放浪の旅

話すと長くなるのですが(笑)。私は物心ついた頃から同じ地球上にこれだけ違う国があることに興味をもち、日本以外の国はどうなっているのか好奇心旺盛な子どもでした。中学生の時たまたま新聞記事で途上国の子どもたちの置かれている過酷な状況、例えば幼い子が貧しさゆえに結婚させられるとか、児童労働の問題などを知りました。それが私と世界との出会いでした。それから、いったいなぜそういうことが起きてしまうのだろうかと考えるようになりました。将来的にはそのような不平等というか、簡単に言うと社会的に弱い立場の人を助けたいという想いから、NGOや国際機関で働くことをイメージして国際的な仕組みやルールを学びたいと地元九州の大学では国際関係法コースを専攻しました。そこでは日本の法律よりも、国と国の関係や子どもの権利を守るグローバルな仕組みなどを学びました。

もう少し学びを深めたいという思いがあったので、大学院への進学を考えたのですが、ちょうど日本にロースクールが出来た年で、今まで学んだ国際法で修士号を取るか、法曹資格を取得できるロースクールに行くか2つの選択肢で迷いました。当時の私は社会課題や国際協力の現場で貢献できる実務的なスキルを身につけて海外に行きたいと考えていたので、ロースクールに行くことにしました。
ただ、そこで覚悟していた以上に苦戦してロースクール卒業後5年も浪人しました。20代も後半になり、周りの友達はみんな就職していく中、私は福岡の実家でアルバイトはしていたものの、肩身の狭い思いをしながら図書館と家を往復する毎日を3年くらい。ひたすら勉強を続ける中、次第に追い込まれていきました。気づくと私にとって途上国で子どものために働くという夢を実現するための一つの手段でしかなかった「資格を取ること」自体が目的になってしまっていたんです。人生の途中のハードルに過ぎなかったことが、人生の目的のようになってしまい、意義を見失ってしまいました。
その時、自分の原点の想いに立ち返るためにも、1年ぐらい思い切って勉強を休み、アジアを放浪する旅に出ることにしました。2010年だったと思います。東南アジアを巡るとちょうど社会起業家と言われるような人たちが次々に登場し注目を集めていた時期でした。当初、国際機関かNPOという選択肢しか持っていなかった私は、東南アジアで社会起業家たちに出会い、大きな衝撃を受けました。ビジネスの手法で子どもたちの問題や社会課題を解決しようとしている起業家に初めて出会い、目から鱗でした。パブリックな仕事がしたいと思っていた私にとってビジネスは一番遠いものだと思っていたのですが、私が図書館にこもっている間に世界は進んでいて、パブリックかビジネスかという二項対立の世界ではなくなってきているなということを肌で感じたのです。現地の起業家やチェンジメーカーと呼ばれるような人たちとの出会いを通して、「これからの世界はこっちかもしれない」と直感的に感じました。

 

自分自身と世界の新しい可能性を感じることができた旅から帰国した私は、エネルギーに満ちていて、パブリックとプライベートセクターの融合という第三の道としてのソーシャルビジネスの方向に舵を切ろうと考えるようになっていました。運命的な話なのですが、帰国した2011年は母校の九州大学でお世話になった先生が、マイクロファイナンスの産みの親ムハマド・ユヌス博士が提唱するソーシャルビジネスの研究センターを立ち上げるというタイミングで、スタッフとしてお誘いいただいたことをご縁に、ソーシャルビジネスの道に一歩踏み出すことになりました。

 

ー中学時代の世界との出会いを胸に法律の道を歩む途中で、思いがけない壁にぶち当たり飛び出した海外の旅。そこで出会った新しい時代の兆しは、その後の井上さんの人生を運命的に変えていきます。

 

■社会人になって駆け抜けた10年

早く海外に出て活躍するつもりが、コーディネーターとして6年以上母校の研究センターで働いたのは想定外だったのですが(笑)。ちょうど日本でも東日本大震災を境に、パブリックなことであっても行政任せにせず民間も関わっていくような流れが出てきたことで、企業や学生向けのワークショップを開催したり、連携先のグラミングループと日本企業をつなぐための現地視察を企画したり、また毎年国際的な会議にも参加するなど、あっという間に充実した6年が経っていました。
その後、2017年にアジアの社会的企業と日本の大企業をつなぐ東京のNPOに転職しました。大学で働く良さもありましたが、企業と企業をつないだ先の動きにも関わりたいという想いが出てきたのと、より広くアジア全体を知ることができて、社会変革のインパクトが大きい企業とより密接に関わることができる仕事の中でさらに世界を広げたいと転職を決めました。

転職先は、ベンチャー精神旺盛なNPOでした。企業の社員さんを途上国の社会的企業に半年ぐらい派遣して、現地の社会起業家たちとプロジェクトを立ち上げやりきるというプログラムの伴走支援をしていました。3年弱の勤務でしたが、多いときは月の半分以上は海外という生活でした。
今振り返ると、福岡と東京での10年間は、社会人になるのが遅かった分、それを取り戻すような勢いで駆け抜けた時間でした。ありがたいことに、国内外の社会をよくしたいとチャレンジする熱いリーダーや素敵な人たちと出会えたり、私が願っていたアジアの最新の動きを知ることが出来たり、現地の人たちとともに創り上げるプロジェクトに携わったりと、本当に充実した10年でした。

仕事をする中でいろいろな国を訪れましたが、どの国にも、どの社会にも、どんな状況にあっても、つくりたい未来を信じてチャレンジし続けるリーダーやチェンジメーカーがたくさんいました。そんなリーダーたちと一緒に、何が出来るか分からない中でもどこか通じ合い語り合えたとき、人種や国などに関係なく人間としての願いが響きあったとき、心が震えました。身体は疲れていても心が元気になって帰国することが多い日々でした。
途上国のリーダーだけでなく、日本企業のリーダーたちとご一緒する中でも心震えるシーンが多くありました。例えばフィールドスタディ事業の一環で、日本の大企業の経営者層の方々とインドのスラム街や東北の復興現場を訪れたとき、会社での立場や役割を超えてその人の心に触れることができた瞬間です。責任ある立場上、会社では様々な鎧や役割を背負っている方が、現実や実情を目の当たりにする現場で、肩書きは関係なく、人として突き動かされる感情が出てきますよね。そんな人間としての部分でコミュニケーションが取れた時は、すごく嬉しかったです。そのような瞬間の、パッションや心の源泉みたいなものに触れられたときに希望を感じました。どんな立場の人であっても、心で感じたことを大事にできる人が日本に広がっていけば、日本もまだまだ新しい可能性やイノベーションを生み出せるのではと勇気づけられました。

 

ーソーシャルビジネスの世界に一歩踏み出し、気がついたらアジアの社会起業家たちとも一緒にプロジェクトを進める仕事をしていた井上さんに、新たな節目が訪れます。

 

■次の10年を見据えた京都への移住

東京のNPOで一緒に働いた仲間と経験は今でも誇りですし、これからもずっと尊敬できるすばらしい組織です。その組織では、メンバー全員が能力やポテンシャルを発揮しながら社会にインパクトを生み出していました。私自身も自分らしいやり方で力を発揮することもありましたが、時として自分らしさに蓋をして、求められる役割から背伸びをしている部分もありました。また同時に、社会をよくしたいと願っている人たちのサポートや応援をしながらも、ふと「私自身はどんなことを願っていて世の中にどんなインパクトを出したいのか」といったことを自問し、次のフェーズに移って私自身の生き方を考え直すタイミングがきたかなと感じ始めていました。海外を往復するハイスピードな生活をペースダウンさせ、地に足をつけてじっくり時間をつくりたいと思い始めたんです。
大学で働いていた時から、人に伝えたり、学生と一緒に考えたりすることが好きなことも自覚していたので、次のフェーズは、研究やこれまでの実践で培ってきたことを整理するような2、3年にしたいという気持ちで京都に移ることを決めました。

定期開催しているSILKオンライン相談会

 

ー京都に移り住み、A-KIND未来設計実践塾に参加しようと思ったのはどのようなきっかけからだったのでしょうか。

 

A-KIND未来設計実践塾でつながった心の種と未来の兆し

京都に来て1年目は、コロナの影響もありSILKの仕事も在宅ワークでした。半年程経ってようやく対面できるようになったのですが、メンバーとの信頼関係を深められたのも、やはりリアルに集まれるようになってからでした。社会的にも自分自身も落ち着いた2年目に、SILKや研究所以外のコミュニティに顔を出して、広がりをつくりたいなという想いが純粋にありました。それと京都に移り住んできた私の一番の駆動力は、次の10年の生き方を考え直したいというところでした。他者との対話が出来るような場を通して、自分としっかりと向き合いたいと思っていたので、X Cross Sector KyotoやA-KIND未来設計実践塾などいくつかピンときたものに参加することにしたんです。

塾については、SILKで働く卒塾生から絶対行った方が良いよと勧められたこと、そして、SILK所長の大室先生からも「熊野さんの話は人生で一度ちゃんと聞いておいた方が良い話だよ」という推薦があったのも決め手でした。

参加してみて印象に残ったことは多すぎて困るくらいなのですが(笑)、熊野さんのレクチャーでとくに印象的だったのは、これからの産業のあり方として「マインダストリーを大事にしなければいけない」というお話です。マインダストリーとは、マインドとインダストリーを合わせた熊野さんの造語で、「心の産業」のことです。これからの社会では、主体としてのベースが組織より個になっていくし、主語を「私」から「私たち」に広げながら内発的でパーソナルな想いからイノベーションを生み出していく。私自身そこを探究したかったんだなということに気づきました。この10年、外の世界と接する中で、刺激をたくさん得ながら走り続けてきましたが、自分の内側の想いや自分がどう感じているのかという心と向き合う時間を置き去りにしてきたことに、熊野さんの言葉で気づくことができました。それと熊野さんは、これからの生き方として、遊びや余白も大事にするというお話もされていたのですが、振り返ると、東京での私は、仕事とプライベートはオンとオフといった形で完全に分けて生きていました。もともと私という存在はひとつなのに。そのことに気づいたとき、分けない生き方というか、あらゆる境界をなくし、自分の中の多様性を軸にする統合した生き方をしていきたいと、A-KIND未来設計実践塾を通してあらためて思いました。

 

レクチャーに加えて有意義だったチームでの共創ワークは、みんなで25年後の未来をつくるという内容でした。描いた未来像以上に、プロセスそのものに豊かな学びがありました。初対面のバックグラウンドの異なる5人が、どうやってひとつの未来像をつくっていくのだろう、と最初は手探りでした。私たちのチームでは、まず、それぞれの願いを深く掘り下げる対話を丁寧に行いました。すると全く背景が違うと思っていたメンバーの願いに、重なり合う部分が見えてきたんですね。アイデアをカタチとして統合させていくというような表面的なことではなく、予測できるデータもない中で不確実な、それでも、人間も自然も地球にとっても「こっちだね」とみんなが感じられる方向を重ね合って内発的な願いの解像度を上げるプロセスだったので、マインダストリーが心に残っていた私の中ですべてがつながった感がありました。

 

ーそんな井上さんはどんな人がA-KIND未来設計実践塾に参加すると良いと感じているのでしょう。

 

時間が割けないからこそ、時間を自分にプレゼントする

違和感ってすごく大事だと思っていて、自分の中の違和感があるときに、それを放っておかない場がA-KIND未来設計実践塾じゃないかなと思います。私たちは自分の感情の中の気づきや違和感を、普段の忙しさを理由に、ほったらかしにしてしまうことが往々にしてあると思います。でもA-KIND未来設計実践塾は、そんな気づきや違和感を放っておかずに、その違和感はどこから来るのか対話を通してじっくり探究し、自分や社会の未来をみんなで描き合っていく場でした。だからどこかモヤモヤしている方とか、本当は気づいているのだけど、なかなか時間が割けないという人たちこそ、自分と向き合い、他者との対話を通じて自分自身そして未来と出会う時間を自分にプレゼントしてあげてほしいなと思います。

 

ー自分にその時間をプレゼントした井上さん。これからの未来はどのように描いているのでしょうか。

 

兆しからオープンにしてつくる、あたたかい社会

まだまだ模索中ですが、研究というお仕事に携わるようになって、新しいスタイルの研究に挑戦してみたいという気持ちが湧いています。勝手に「伴走型リサーチ」と呼んでいるものです。例えば、これまでの研究者の方々はある程度持論やモデルが確立された段階で世の中にお披露目していたところを、私はもうちょっと手前の段階から発信したいと思っていて、兆しでしかないイノベーションの種のようなプロジェクトに、観察者的な視点をもちながら参加させてもらっています。そして、参加メンバーから生み出される創発的な変化をつかみ、「こんなことが起こりつつあるのではないか」と見えてきたことを意味づけしてフィードバックしたり、さらには外部にも、「このプロジェクトではこんなことが生まれつつある」というのを発信したりすることで、共感や参画を増やしていきたいと思っています。内発的な動機を起点に創発し合うオープンイノベーションの過程に伴走するリサーチャーというあり方に挑戦してみたいと思っています。
そのことと関連する話なのですが、私が京都に移るきっかけとなった仲間たちとCommunity Based Economyというコンセプトのもと、京都や九州、長野、東北など各地のプレイヤーたちと、自由でやさしい経済圏をつくり実践するための学びの場をつくっています。地域に根差して、地域資源を大切にしながら、必要な規模で新しい資本主義といいますか、あたたかい経済をつくる実践者さんたちと学び合うコミュニティが各地で育まれています。それはこれからの日本の希望の宝庫だと思っていて、どうやったら人間も自然も、隣の人とも海の向こうの人とも境目なくつながって、活かし合えるのかということを共有資産として、未来をともにつくっていく実践的な場です。そしてそのコミュニティ同士がつながりあったら、もっと人やその地域らしさが発揮されるあたたかい社会、未来になると感じているので、そうした地域同士が相互に学び合う場をこれからも増やしていきたいと考えています。

 

 

■インタビューをした大槻より■

紆余曲折ありながらご自身の生き方を問い続けてきた井上さん。常に未来の自分をイメージすることで実現されてきたのは、何章にも分かれるような物語でした。印象に残っているのは様々な肩書の方と接しながら「人間として触れ合えた時、嬉しさを感じます」という話です。社会課題も経済モデルも、全て人から始まるのだということを改めて感じさせていただいたあたたかい時間でした。

PROFILE 井上 良子(INOUE Ryoko)

京都市ソーシャルイノベーション研究所 イノベーション・コーディネーター

世界人権問題研究センター 専任研究員(ビジネスと人権)

RELEASE; プロジェクト・コーディネーター/リサーチャー

福岡市出身。大学院修了後、ソーシャルビジネスに大きな可能性を感じ、法律の分野から転身、2011年より九州大学ソーシャルビジネス研究センターで、ソーシャルビジネスの創出支援、研究・教育に従事。ムハマド・ユヌス博士やグラミングループ、海外の教育機関等との連携を進める。組織やセクターを越えた成長への伴走を軸に、2017年からNPO法人クロスフィールズで東南アジアの社会的企業と日本企業をつなぐ越境人材育成プログラムやフィールドスタディ事業を担当。

日本の先人たちの文化や知恵が蓄積された京都からサステナブルビジネスやソーシャルイノベーションを発信しアジアやグローバルとつなげていきたい、と2020年4月よりSILKに参画。2021年4月からは研究職もスタートし、well-being経営や内発的イノベーションによる組織・地域づくりについて研究すると同時に、創発的なプロジェクトに参画しながら意味づけや体系化を試みる”伴走型リサーチ”を探求中。

(公財)信頼資本財団 A-KIND未来設計実践塾7期卒塾。

 

(2022年1月インタビュー)