信頼資本財団について 社会事業を応援する

卒塾生の声

INTERVIEW
あなたの参考になる生き方が見つかるかもしれません
INTERVIEW
Home 卒塾生の声 アーティストに伴走し続け、90歳になっても未来の話を

<卒塾生同士だから聞ける・話せるインタビュー>

日下部 淑世さん:A-KIND塾1期(2015年度)卒塾生

インタビュアー:A-KIND塾5期卒塾生・同期塾頭 G5designs大槻彦吾さん

 

今回は、京都市内で有名になっている若手現代アーティストの住むコミュニティ型アートホテル「KAGAN HOTEL(河岸ホテル)」のオーナーである「株式会社めい」の日下部淑世さんのお話をお聞きします。日下部さんは通称「めいちゃん」と呼ばれているとお聞きし、その由来からお話をお伺いすることにしました。

”めいちゃん”と名乗るようになった理由

自分のニックネームを”めいちゃん”にしたのは会社を立ち上げた後なんです。”発明”とか”夜明け”とか”黎明期”の明けるという字が由来として、会社名を『株式会社めい』にしました。漢字だと株式会社明(あきら)みたいな感じになるからひらがなにしています。私が”めいちゃん”を名乗り始めたのは、シェアハウスの名前を決めた時です。お金もない中で起業するに当たって、住みながら働ける場所を住む人の家賃だけで提供したいと思って職住一体型シェアハウスにしました。私も住んでいるし代表の扇沢(友樹さん、日下部さんのパートナー)も住んでいるし、お客さんももちろん住んでいるという形。その時に私の名字が日下部(くさかべ)で、トトロの主人公の名字、草壁(くさかべ)めいと同じ読み方だったのもあり、私も”めいちゃん”と名乗るようになりました。知り合ったことのない人との共同生活をするに当たって、シェアハウスの名前を出来るだけ暖かさを感じられる名前にしたくて”めいちゃんち”と名づけました。

 

ー職住一体型シェアハウスを運営されている日下部さん。職住一体型シェアハウスとはあまり聞きなれない印象ですが、具体的にはどのような活動をしているのでしょうか。

 

ちょっと堅い説明になるのですが、住まいの家賃だけで働く場所も提供できるような共同住居の運営管理の会社をパートナーである扇沢と二人でやっています。運営全般をやっていて、ホームページづくりだとか広報だとかも含まれます。その中でも実際に私の仕事だと実感しながらやっているのは、多くの入居希望者さんのお話を聞いて、うちに入ってこういうことをやっていってはどうかというお話をしたり、うちに入るよりもこういう生き方をしていった方が幸せになるんじゃないかということを一緒に悩んだりするようなことです。伴走者みたいな感じですね。

KAGAN HOTEL

 

ーコミュニティに所属するのは100名ほど、面接も年間100名以上来られると話す日下部さん。職住一体型のシェアハウスを始めた経緯について尋ねました。

 

■二人の実現したいことを形にした職住一体型シェアハウス

私も扇沢もお金持ちも貧乏も経験していて、屋根のあるお家って素晴らしいよね、みたいな共通の価値観があります。扇沢とは大学4年の時にツイッターで知り合いました。彼は大学時代貧乏で、バイトと家と学校の往復しかなくて外部の人と知り合うことがない生活を送っていました。彼が学費をようやく払い終えて、親への逆仕送りも払い終わって精神的余裕が生まれた時、外部との初の接触が私みたいな感じでした。もともと私自身は学生時代から起業したいという夢はありましたが、何がしたいかということに関しては形になっていませんでした。彼がやりたい仕事を紐解いていくと”あたたかい不動産”というのが核にあるということが分かりました。一方、私がやりたかったことはアーティストに伴走する仕事です。当時、アーティストの定義を『夢を形にしたいと思っている人』ではないかと思っていた私は、そうであれば彼もアーティストだと思いました。私の夢はアーティストである彼を応援することで叶うし、彼もあたたかい不動産を創ることができると考えた時に生まれたプロダクトが職住一体というシェアハウスでした。

 

ー学生時代に出会った扇沢さんとの起業。結婚をして公私ともにパートナーとなったお二人の出会いとはどのような感じだったのでしょう。

 

意気投合というよりフィーリングが合ったという感じです。ノリで意気投合というのではなく、フィーリング投合というか。価値観投合ですかね。

私にとっての価値観とは何を大事に思うか、何に違和感を感じるか、相手にしてあげたい・したくないことなどの判断軸です。その感覚が近かったと思います。特に金銭感覚ですね。会社を経営するに当たって、どこにお金を使うかというのは大事だと思います。彼はウォーレンバフェットさんが好きで、スノーボールという本を大切にしています。その本は、小さな雪だるまも転がしているうちにだんだん大きくなる、という内容です。私たちは、起業をした時もボロボロの物件を借りてきて、それに価値づけをするということをやりましたが、その後もずっとそうやってきています。その物件をいかに同じ価値観を持った人と出会うツールにするかを大切にしたいという部分が、最初にパートナーに出会った時から共通する価値観だと思います。

 

ー「同じ価値観を持った人と出会うツール」を事業として運営されている日下部さん。その価値観はどのようにして形成されてきたのでしょうか。

 

「もうすでにあるのが当たり前」が成立していることへの違和感

お金持ちの時に住んでいた家というのは、つくりこまれたお家でした。例えば赤い絨毯が廊下に敷かれていて、クラッシック音楽が流れているような高級マンション。その後、貧乏生活をすることになって引っ越しを繰り返す中で、1を10にすることよりも、いかに貧しい暮らしを豊かに変えていくかという0→1に関心があることに気がつきました。人がつくった世界ではなく、自分が新しい世界をつくるという方に強い関心があります。無いところからつくりだす方がワクワクしますね。例えば小学校の時に、与えられたキットをただ組み立てるより、時計で言ったら時計の電池の部分から仕組みを知ってつくりたいという子でした。あるのが当たり前という、当たり前がすでに成立していることに小さい頃から違和感がありましたね。

 

ーシェアハウスを運営してみての苦労や喜びについても聴きました。

 

分かり合えていると思えていたけど分かり合えてなかったと分かった時がしんどかったですね。お客さんと一緒に住んでいたのですが、事業を拡大していくにつれて一緒に住むことが出来なくなっていきました。すると誤解が解けなくなったり、時々コミュニティークラッシャーのような人が入居されて、理解し合っていると思っていたメンバー同士もクラッシュされてしまうという時は、寂しいし、辛くもありました。
高校時代から諦念という言葉が好きです。諦めるとは一般的にはネガティブな言葉ですけど、仏教用語では道理を悟るという意味があります。もちろん私自身も反省するべきところは反省し、拗ねていないというのが大切だと思います。切り捨てるのではなくてステップアップとして諦めの念を知ると、がんばれました。
私達は死ぬまでハッピーというか、老後の楽しみのために今仲間を集める事業をしている感覚です。価値観が合いそうな人たちが出会う場所になったらいいと感じています。私たちと価値観が合うということはメンバー同士も価値観が合う人が多いと思うんですけど、メンバー同士での結婚の仲人などになれた時には最高に幸せだと感じます。みんなもハッピーだし、私たちもやってきたことが認められたという感覚です。

 

ー価値観を大切にしているということは価値観の相違が起こることも含まれますが、そこでポジティブな意味での諦めをもち、ステップアップをしてきた日下部さんに、A-KIND塾に出会ったいきさつについてお聞きしました。

 

■探していた「覚悟を持つタイミング」とA-KIND塾との出会い

私たちを気にかけてくださってる京都市職員の方に、「熊野さんという方がいて、その人に教えてもらえるいい機会だから学びに行ってみたら」と勧められました。信頼している方が真剣にお勧めしてくださったというのが大きかったですね。その年は他のコミュニティにも属してみようと決めていたこともあって参加することにしました。熊野さんは上場企業の偉い人だけど、価値観が近そうだと感じたこともきっかけの一つです。価値観が近い人って中々出会えないですし、町屋(信頼資本財団のオフィスがある風伝館)でこぢんまりと開講している塾というのが、寺子屋付シェアハウスというのをやっていた経験から、懐かしい気持ちにもなりました。

寺子屋付シェアハウス

 

狭い京都でいつでもすれ違える大人たちがわざわざ月1回会わなくてもいいんじゃないのという気持ちは私の中にあったと思います。当時人を自分の拠点に招くことはあっても招かれることがほとんどなかったので外に出ることを少しハードルにも感じていました。一方で、その覚悟を持つタイミングを探していたのかもしれません。

 

ー濃い時間の共有をする「覚悟を持つタイミング」に出会い参加したA-KIND塾。日下部さんにとって参加することで印象に残ったのはどんなことなのでしょうか。

 

印象に残っているのは、チームで毎週集まっていたことですね。路地奥でボロボロの別の町家にチームのメンバーで集まって、ああでもないこうでもないと夜12時過ぎても話していました。秘密結社感があって(笑)、実際に商品を販売することになっている卒塾制作発表の場であるフリーマーケットでどんだけ売上が立つか?という小さなことにも上下関係なく、それぞれの背景も越えて真剣に話しているのが強く映像として印象に残っていますね。
感情に寄りすぎているとか合理性によりすぎているとかのそれぞれのバロメーターの違いも面白かったです。価値観の違いを越えて同じ方を向けるか、最後まで諦めずに走るのも大事だなと感じました。

 

ーA-KIND塾での参加者の背景を越えてつながる体験を楽しそうに語る日下部さん。A-KIND塾で学ばれたことはどんなことだったのでしょう。

 

■チームメンバーから学んだ謙虚さとメタ目線

一番大きなことは、熊野さんの講義の中の言葉ですね。「ポケットを変える」とか。
それと、ばかばかしいと自分が思ってしまうようなことでも真剣に取り組める姿勢を見せてくれたチームメンバーの方達と熊野さんの両方から「謙虚さ」ということを学びました。
精神年齢が高いほどにメタ認知ができるようになる気がするんですけど、本当はメタ認知を消せるのがもっと精神年齢高いんじゃないかと思っていて、そのスイッチは謙虚さによって入れられるようになるのだと思っています。私は謙虚さが無いので、大きな学びになりました。

 

ーメタ認知を越えるスイッチは、謙虚さにあると語る日下部さん。明確な価値観と謙虚さを大切にする日下部さんは、どんな方にA-KIND塾に参加をお勧めするかを聞きました。

 

勧めたいのは、謙虚になりたいけどなれないよという人かもしれません。塾には、熊野さんやいろんな人たちが参加していて幅広いメンバーと交わるので、その中で誰かひとりでも尊敬できるような人と出会えれば、謙虚さにつながる気がしています。それぞれの人にとって参加者の中で尊敬できる人に、月1度出会えるチャンスとなりますし、熊野さんという存在でその質は担保されている気がします。

 

ーご自身を振り返るように静かに語る日下部さん。最後にご自身が描いているこれからの未来について尋ねました。

 

■90歳になっても未来を話せる仲間づくり

パートナーには、やりたいことや夢が沢山あります。世界中から株主を集めて大盛り上がりするとか(笑)。老後への布石として、その実現したいことに伴走しながら、見定めながら、整理して事業をしていきたいと思っています。
最終的には自分たちのことを大事に思ってくれる人たちと、過去の話ではなくて今の話や未来の話を80や90歳になっても増やしていきたいですね。
今はコレクターズハウスという様々なコレクターたちの住居なども企画しています。色々な仕掛けがそろそろ整ってきたので、2022年はお知らせできることも多くなりそうです。KAGAN HOTELもウィズコロナのホテルとして成立すると思っています。

KAGAN HOTEL

 

■インタビューをした大槻より■

インタビューでとても印象的だったのが「自分の感性を表現するのに当てはまる言葉が無くて高校時代に色んな『これだ!』と思う言葉を集めていた時期がありました」と語られたことでした。時代を越えてご自身の感性を表現するのに一番しっくりくるKAGAN HOTELや事業をキャンバスに、人生をかけての作品をつくっているような日下部さんのいきいきとした目がとても新鮮な時間でした。

PROFILE 日下部 淑世(KUSAKABE Toshiyo)

株式会社めい co-founder/初代めい/株式会社ゆい IT統括責任者

1987年兵庫県生まれ。宅地建物取引主任者。

画家であった亡き母の影響で若手アーティストが活躍できる社会づくりをミッションとし、同志社大学経済学部で アートや漫画、映画などのコンテンツ産業について学びながら、プロダクト開発や企業のブランディングに関わる。

2010年度東京ギフトショーグランプリ、2014年度以降京都市委託事業での出版など。

IT、土地にまつわるリサーチ、ニッチマーケティングを武器に、めいが生み出すコミュニティや入居者の仕事に繋がるプロジェクトのマネジメントを行う。

(公財)信頼資本財団 A-KIND塾1期卒塾。

 

 

(2022年1月インタビュー)