どんな社会で生きたいのか
1945年 | 「ポツダム宣言」を受諾して日本は無条件降伏、連合国軍の占領下におかれ、主権と行政権が留保される敗戦国になった。 |
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1946年 | 「日本国憲法」が公布され、翌1947年施行された。 |
1951年 | 「日本国との平和条約(サンフランシスコ講和条約)」を締結、日本との戦争状態終結を多くの国々が認め、翌年の施行によって日本占領が終結、主権と行政権を回復した。 |
1951年 | 同条約で認められている範囲として占領軍のうち米軍部隊にのみ引き続き駐留を許す「日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約(旧安保)」を締結。 |
1952年 | 「旧安保」の具体的取り決めとして「日米行政協定」に調印。 |
1960年 | 「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約(新安保)」締結に伴い、「日米行政協定」を「日米地位協定」として引き継ぎ、今日に至っている。 |
現在その数は北海道から沖縄まで78施設、70%以上が沖縄にあると防衛省の資料に出ている。
http://www.mod.go.jp/j/approach/zaibeigun/us_sisetsu/2_prefecture.pdf
協定に基づき、米軍関係者は日本国の入国許可を取らずに施設内空港や港湾に直接出入り可能であり、その数や動向を把握する術がないことや、日本の上空各所に米軍訓練空域が設定され、日々米軍の意思によって訓練が行われ、民間機はこの空域を迂回して飛行する必要があるという状況も、もう日常である。
これを見ると、善悪左右は別にして、日本が未だに占領体制をひきずっていることは明らかだ。
先日6月23日の沖縄慰霊の日で翁長知事が語った言葉、
「日米安全保障体制と日米地位協定の狭間で生活せざるを得ない沖縄県民に、日本国憲法が国民に保障する自由、平等、人権、そして民主主義が等しく保障されているのでしょうか」
はここにつながっている。
沖縄の人たちの切実な思いとは別に、主権ある国軍を持って占領下から完全に解放され、「敗戦によって大きく損なわれた日本人の美徳や文化、ひいては誇りを取り戻したい」という人々が、国会議員も含め増えているらしいことを報道で知る。
一方で、「今日までの日米関係があったから国防を過大に案じることなく、焼け野原の敗戦国から平和裏に経済大国に昇りつめることができたのであり、私たちの経済状態を維持、発展させるためには、今後も世界一の経済・軍事大国アメリカに追随していくべきである。戦前のような自国の過大評価による暴走をさせてはならない」と考える人々も多い。
この考え方の場合でも国軍を持つ話は出てくる。
アメリカが「もう他国の面倒を見るのはほどほどにしたから、我々が遠隔操作できる国軍を設立し強化せよ」と「指令」を出した場合である。
真の独立した国軍かアメリカ統帥下の国軍を望むかは別に、いずれにしても、自衛隊を改変して軍隊としていくためには、その設立を禁じた憲法9条を変える必要があり、この改変時に生じるかもしれない暴動やテロを封じるための「テロ等準備罪」が必要だと考えるということはあるかもしれない。
戦後の日本にも、安保闘争など暴動やテロの時代はあったのだから。
どんな社会で生きたいのか、
議員は当然の話だが、民間であれ、公務員であれ、そのしっかりとした未来設計図を描かないまま、折々の「リベラルと思える事象」や「日本や郷土を愛する気持ち」、「組織の事情」、「表面操作的な一時的穏便策や目くらましの問題」に一喜一憂したり、同意や批判を続けたり、以前起こったことをすぐに忘れてしまう深く考えない習癖を持ち続けると、知らぬ間に意図せぬ船に皆で乗り込んでいることになるだろう。
意思を少しでも反映させるために、選挙を経ない人間が議会に立てない制度がある以上、まず投票にいくことは当たり前だが(どの人や党が良いかその時に精一杯考えて選べば良いのだ、間違っていたと思ったらまた違う人や党に入れれば良い)、その上で、国軍を持つのか持たないのか、大企業に牽引された経済が良いのか違う方が良いのか、毎日使う電気はどういう方法で発電したものが良いのか、食はどうか、どこであらゆるものに対する自分の消費欲求を押さえるのか、自由に生きようと他人にまったく干渉されない人生を選びたいのか、またはどこかで気持ちを調整して皆が一人では生きていけない助け合いは当然のことと壁を取り払い貢献し認められてつながりながら生きるのか、そしてその自分の考えが統合された社会はどんな社会かしっかり思い描くことを薦めたい。
次にそこに向けた行動を一歩一歩続けていく。
私もそれを描き、修正しながら、日々財団の活動や事業で近づこうとしている。