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2019.07.16

そもそも選挙とは?

40年間にわたる私の社会人人生で、職員にはもちろん社員にも、政党や政治家を強制的にまたは恣意的に推して組織票づくりをしたことがない私だが、今回は「平和」についてよく考え、一票を投じてほしいと話した。
 
人類の歴史を紐解けば、「平和」は守るものではなく、つくるものだとわかる。
平和をつくるということは、豊かな関係を築くということだ。
豊かな関係が壊れている社会では、事業はやりにくい。
従って、社会事業を模索してきた我々は、「平和」を持続させなければならない。
人にとって、豊かな関係をつくることができない政治や行政や経済でGDPを伸ばしても意味は無い。
そのようなことが経済発展なら、これ以上必要ないと日々起こる社会問題が教えてくれている。
 
「発展」という言葉の下、なぜ豊かな関係が壊れてきたのだろうか。
そして、そんな時代を築いてきた政治家を選んできたとも言える「選挙」とはそもそも何だろうか。
 
選挙を前に今一度確認したい。
 
日本は、立憲主義の国である。
憲法は、「国家」が暴走し、人が生まれながらにして与えられた権利・自由を踏みにじったり、奪ったりすることができないよう、国家権力をしばるために定められたものだ。
主権(国家の対外独立権・国家の統治権・国内の最高決定権)は、国民みんなに在るとされている。
日本国憲法は、敗戦時アメリカから押し付けられたものであるということも言われるが、国家が暴走する中で50〜100万人の民間人、200万人以上の軍人が亡くなり敗戦国となった経験を経て、「基本的人権の尊重」や「国民主権」とともに、「平和主義」を織り込んだこの憲法を、主権者たる国民が選択し続けた72年だったのだと思う。
 
その憲法に、立法府の政治家が国民のために法律を作り、行政が運営、司法が法を守るという三権分立(立法・行政・司法)が定められている。
そして、主権を持つ我々一人一人がその意思を反映してくれる政治家を選ぶために投票するのが「選挙」である。
 
経済発展を優先してこそ国民の生活が安定し、人々は幸福になるとし、産業や金融発展を至上命題とする政党を応援する国民が多い時代が続いた。
しかし、市民が個々に株式を持ち、経済優先の企業が社会に暴力を発揮するときに牽制するためのルールだった会社法を設けながらも、社会から遊離した機関投資家や利益目的で企業をコントロールすることが横行する中、その力を背景とする政治家も、活動の原資が税金である行政も、無力化されたかに見える司法も、産業と金融の発展こそが価値の最上位になるまでに至った。
 
即ち、人間の尊厳を守るために生まれた近代システム・三権は、産業・金融資本主義を守ってこそ、国民に社会的安定を提供できると、それを正義にするようになった。
一方、日本のみならず、世界中の議会制民主主義を選んでいる国々で、民意が政治に反映されないストレスが顕在化している。社会主義国で民意が反映されないのは、言うまでもないことだが。
 
これまでの近代システムにおける発展は、産業・金融資本主義的価値の増幅ということだった。
この閉鎖系の地球の中では、一定の富の中で人口が劇的に増えれば、富が偏在するということになる。
発展という名で豊かな関係が壊れる理由は、こうして有限性のある物資と人間関係のバランスが崩れるからだ。
そして、そのバランスを壊す産業・金融資本主義的富の獲得に動く政治家を選ぶのが選挙であるかのような誤作動を無くしていかねばならない。
 
 
経済性の豊かさから、関係性の豊かさにしていくこと。
関係性の豊かさを増幅させる政党が、そのような社会にするために立法し、それを司法が守り、行政が運用する新しい近代システムは、安定社会でなく、安心社会の構築を目指す必要がある。
そのためには、外需頼みの産業や金融資本主義ではなく、内需中心の産業や金融資本主義、関係性資本主義を目指さなければならないと思う。
その際の経営資本は、信頼できる人・モノ・金・情報という信頼資本である。
これを管理し、リスクとリターンを計測しながら最大限の効果を得る手法により、信頼資本が増幅し、発展と呼ばれながらも豊かな関係が増大する社会になっていくだろう。
そうした社会は平和でなければ実現できない。
 
だから、平和に一票を投じてほしい。
 
 
2019年 7月 
信頼資本財団 理事長 熊野英介