微力ではあっても、決して無力ではない
〜これまでの10年間、そしてこれから〜
〜これまでの10年間、そしてこれから〜
信頼資本財団は、今年1月から11年目の活動に入っています。
社会関係資本を「信頼資本」「共感資本」と名づけ、活動を続けてきました。
今、広がりよりも関係性を重ね深めることがより重要になってきていることを実感し、新たな10年の最初の年に、「関係性の増幅」、そして「連帯感」をより強く意識しています。
私たちは、2009年1月7日に一般財団法人として産声をあげました。
その約1ヶ月前、2008年12月1日に、公益法人制度改革関連法が施行されましたが、新制度下すぐに設立手続きをしたのは、施行に照準を合わせて2年ほど前から準備を進めた結果でした。
数ヶ月前にリーマンショックが発生、方向性に間違いないことを証明していると確信しながらの設立でもありました。
遡る2007年、社会事業家を支援する財団設立の準備を開始した直接の理由は、私・熊野が、経営してきたAMITAという会社の株式上場で得たキャピタルゲインを何か社会のために役立てたいと考えていた最中、このショックにつながっていくサブプライムローン破綻が起きたことにあったからです。
全てに形を与え、貨幣価値に変えて動いてきたこれまでの資本主義が、信用を喪失したのがリーマンショックでした。
近代社会は契約の社会であり、その中で増幅したのが信用でしたから、信用が喪失したということは近代的価値の喪失が本格的に始まったということを意味していました。
私自身のそれまでを振り返れば、財産も技術も輝かしい学歴もない中、自分の存在も人の存在もこの世に生じたからには無駄にしたくない、無駄な物を生み出したくないという社会的動機をもって汗を流せば、これに応じて関係者の気持ちが動き、前例の無い判断をしていただき、状況が変わり、仕事が増えていった経験がありました。
したがって、実体経済を離れ、金融が暴走し続けるようになった社会にあって、お金だけではなく人と人の関係性にも事業さえ動かす大きな価値があると唱えていくことが重要だと考えました。
目に見えず感じるしかない社会関係性資本を「信頼資本」と名づけ(「信用資本」ではありません)、金融資本だけに頼りすぎない社会に向かおうという挑戦の始まりでした。
余談ですが、経営する会社の方で「共感資本チーム」を立ち上げたのもこの頃でした。
まず開始したのは、社会事業家への無利子・無担保・無保証融資とその事業家や応援者(「信頼責任者」と呼称している人たち3名以上が必要)の知恵知見を他の事業家や事業家予備軍に共有する応援連鎖の仕組みとでも言うべき事業でした。
周囲からは、「信頼資本?何ですかそれは?」「そんな荒唐無稽なことなことを柱に据えるのは、やめた方がいい」「お人好しがいると分かれば、本気で騙す人も出てくるよ」等々と言われる始末でしたが、それでも引き続き一緒に道を模索しようと協力してくれる設立メンバーで力を合わせる中、東京都千代田区にて一般財団法人の登記をし、同じ年に公益財団法人の認定を得ることができました。
設立登記直前、畑違いの会社出身で社会事業については素人ながら共感してくれた若者を、初めての事務局員として採用したことも今となっては懐かしい思い出になっています。
しかし、道のりは思い通りにならないことの連続でした。
社会事業家を応援しようと開始した無利子などを掲げた共感融資事業で、信頼資本財団と支援先との1対1の関係を横に広げていくことができず、信頼資本社会に向けたコミュニティの一歩を踏み出せませんでした。
今にして思えば反省することばかりですが、信頼を形にすることの難しさを感じるようになっていました。
設立満2年を過ぎた頃、2011年3月11日に東日本大震災が起きました。
新たに、以前から構想を温めていた指定助成である共感助成を始め、被災地を応援すると同時に社会事業家を応援する事業に乗り出しました。
登記時に採用した事務局員を事務局長にして、復興に向け我々なりに力を尽くした時期でした。
そして、2013年、それでも信頼資本社会に向けたコミュニティを築いていくことはできず、困難に直面していた我々は、当時の東京で信頼資本を積極的に育てていくことを一旦据え置き、自然と人間、人間と人間の関係性が全体としてより近い京都に活動拠点を移しました。
同時に京都信用金庫と協調するソーシャル共感融資を始め、信頼資本財団が利子補填をすることによって、無利子無担保で最大2,000万円までの融資が受けられる仕組みも拡充しました(今年からは日本政策金融公庫との協調融資の仕組みによって、全国対応ができるようになっています)。
事業拡大に伴って資金需要が生まれ、金融支援を受けることが避けられないという状況にある時、信頼資本とつながった資金を使ってもらい、仲間とつながり、持続可能な事業経営について学び、段々と、お金だけに頼りすぎない、信頼資本・共感資本もまた増えていく社会に貢献していって欲しいとの願いは、設立時からこの時も、そして今も全く変わっていません。
一方、移転後、ソーシャルビジネス支援に前向きな京都市との事業が始まっていましたが、翌年ぐらいから、社会的インパクト投資や資金・寄付金集めのノウハウ論といった、極論してしまえば「社会問題解決もまたお金次第」という動きが大きくなっていく時代に入りました。
こうした我々の目には金融資本主義の延長と映る価値観の違いが明確になる中、この時期互いに別々の道を歩むことにした仲間も出ましたが、その後の流れを考えれば、必然だっただろうと考えています。
とは言っても、2年間の準備段階から関わっていた仲間は皆、その後も財団内や近くで相変わらず共に在ります。
ただ一人、設立直後に亡くなった大事な設立理事メンバー難波菊次郎氏を除いて。
京都を拠点に新たな仲間も増えて行きました。 現副理事を中心に九州へのネットワークも広がっています。
2015年、持続性のある事業を行う社会事業家を公募し、育成をしていこうと「A-KIND(アカインド)塾」を開講し、翌年、行政という面から社会事業を行う職員向けの「未来設計実践塾」を開講しました。
融資先や助成先の社会事業家と顔を合わせる機会にも未来を感じることは多々ありますが、若い社会事業家や行政職員が切磋琢磨し、成長していく姿に毎月接することができる塾を通してもまた未来に希望を見い出し、この財団を設立して良かったとの思いを深めていきました。
年を追って、塾生同士での知恵知見の共有や応援、協働も増加しています。
こうした活動を続ける中、ここ数年、ビジネスという舞台がどんどん自己表現の舞台になってきていると感じています。
団塊世代の人たちが若い頃、ビートルズに憧れて「音楽をしよう!」と仲間を集め、素人がエレキギターを持ち、グループを組んだエネルギーの流れと同じ現象ではないでしょうか。
もっと前の世代にとっての音楽と言えば、修行をして楽団でやるもので、ギターを持ったこともない素人には手の出せない世界でしたが、その後、素人が当たり前のように舞台に上がる時代になっていきました。
ビジネスという舞台は開放されたのです。
そして、今、財団内に限らず様々な場で顔を合わせる若い人たちは、「MBAをまず取得してから」といったようなことは言わず、軽やかに「社会事業をやろう!」とビジネスという舞台に上がってきます。
阪神淡路大震災や東日本大震災、続く大規模な自然災害多発の時代、そして日本経済が下り坂に入った時代に多感な時期を過ごしてきた世代だからなのだろうかと仮説を持つのですが、彼らの中には、肩に力を入れることなく自然体で困っている人を助けようと動き出し、自分のプレゼンス向上のために社会事業を利用するといったことをしない人が比較的多いようだと話しています。
中には、私の元に来て、「信頼資本っていいですよね」「僕は共感資本という言葉の方を使います」「でも、実は信頼関係を築くことに踏み出せない人や、共感性が少ないことに悩んでいる人にとっては両方共結構重いかもしれません」と話してくれる人たちも。
ビジネスを自己表現の場にしはじめた世代が、信頼資本や共感資本を抵抗なくすんなり受け入れてくれる様子に最初は驚きましたが、それが時代の流れということなのでしょう、そうした話し合いができることを大変嬉しく思っています。
ようやく信頼資本社会に向けたコミュニティが小さいながらも育ち始めていると実感しているこの1年です。
これから先も、こうした人達はもちろん様々な世代の社会事業家に、私がこれまで学んできた関係性をベースにしたビジネスのあり方を引き続き伝え、いろいろな形で応援していきたいと決意を新たにしています。
尚、京都での活動が落ち着いてきた昨年ぐらいから財団も少しずつ東京での活動を再開しています。
関西圏での活動にはますます力を入れながら、細々と「東京A-KIND塾」も開催してみようかと計画中です。
私のわずかな上場益で始めたこの財団は、資金も大きな財団のように潤沢ではなく、多くの人に信頼資本で応援してもらっており、諸々の企画の登壇者もほとんどが設立以来手弁当で来てくれているような組織で、華やかな活動は何一つありません。
それでも、今年8月9日の「長崎平和宣言」で長崎市長が引用された言葉、2001年に同市の高校生たちが唱え始めた言葉のように、「私たち一人ひとりの力は、微力ではあっても、決して無力ではない」と信じ、課題山積の今の社会を少しでも変えていくことができる、新たにつくっていくことができるとの希望をエネルギーに、仲間を増やし、次の10年も走っていきます。
今までの仲間も、未来の仲間も、知見や体力や時間、そして信頼資本社会に向けたご寄付でのご支援を、更にどうぞよろしくお願いいたします。
2019年 9月