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Home 卒塾生の声 頼り頼られ、助け合える心の居場所momo庵

<卒塾生同士だから聞ける・話せるインタビュー>

有本 忍 さん:A-KIND塾1期(2015年度)卒塾生

 

滋賀県の琵琶湖から流れる瀬田川のほとりにある一軒の古い町家を改装して、未来を見据える若者たちの憩いの場「momo庵」として新たにオープンした有本忍さん。
 「自分には未来を変える力は無いが、社会を良くしようと本気で取り組む知り合いの大人を紹介することで、若い人たちが刺激を受けより良い未来をつくっていく場をつくりたかった」––– そう語る彼女が、momo庵開設に至るまでにどのような経緯があってどのような未来を見ているのか、インタビューします。

■障がいを持った人たちと多く接する環境

 私が小2のころ、母親がどんどん右半身が動かなくなって、突然一晩で歯が半分抜けてしまいました。当時ほとんどなかったMRIが京都の病院に設置されたということで診てもらったら、脳腫瘍でした。その後繰り返し手術はしましたが、母には障がいが残り、半身不随になり最後は寝たきりになってしまいました。

 

 父親は、ステンレス製の煙突(排気筒)を製造する会社を経営していましたが、そこで障がいのある人を積極的に雇用していました。特に知的障がい者が多かったと思います。父親は障がい者施設にも平気で入っていくような人で、私が子どもの頃によく施設に連れて行って貰っていました。障がいを持った人のなかには食事時、食べ散らかして周りを汚している人もいましたが、そんなときには散らかった食べ物を自分が食べてあげるような、そんな父親でした。

 

 そのような環境だったので、私が小さい頃から障がいを持った人と接する機会もあり、障がいがあっても一生懸命身体をフルに活用して生きているのに比べて、私自身は五体満足にもかかわらず、心身ともに活用しきれていない感覚というのがあり、人として納得いかない気持ちがありました。

■何のために生きているのか 誰の役に立っているのか

 私が18歳のとき、30歳の兄がガンで亡くなりました。若いため進行が早く、病気が判明して早くに死んでしまったのですが、兄が亡くなる時に「お兄ちゃんはなんにも悪いことしてないのに、なんでこんなことになったんやろう」とつぶやいたのです。私は兄の財布から勝手にお金を拝借したり、無理やり送迎させたりと好き放題していて、私の方がよほど悪いことをしていたはずなのに、なぜ兄の方が「死にたくない」と言いながら死んでしまったのか。なぜ、私が残ってしまったのか。なんのために生まれてきて、何のために生きているのかと悶々と考え続けていました。

 

 すでに会社の後継していた兄が亡くなって親もがっかりしており、後継する気も無いけど、とりあえず父の会社で働いてみようということになって、短大を卒業して勤めたのですが、真面目に仕事する気も無く、会社で本を読んだり、電話対応は一応していましたがまともに働いていませんでした。

 

 そんな中、当時付き合っていた人と結婚したのですが、子どもができなくて。普通は結婚して何年かしたら子どもができるものだと思いこんでいました。自分が生きている意味というか生きた証しになると思っていた子どももできないのなら、いったい自分はなんのために生まれてきたのだろうと悩んでいました。

 

 そのうちに父親がガンになってしまって、余命も僅かということだったので、娘である私が機械の動かし方も何もわからないのに代表となりました。経営のことは税理士さん、ものづくりについては社員さんがしてくれるので、もっとほかに新しい柱になるようなものや、わたしにしかできないことがあるのではないかと、いろんなところに聞きに行ってヒントを得ようとしていました。
家族の中で私だけが無駄に健康なことに、負い目を感じていたのかもしれません。私の健全な身体機能を私よりよっぽどうまく使ってくれそうな人がいっぱい居るのを見て、私は何のために生きているのか、何のために生まれてきたのか誰かのために役に立っているのかと、いろんなことに自信が無かったのです。

■「この世に無駄なものは無い」 熊野理事長との出会い

 そんなある日、いろんな勉強会に参加しているうちに知り合った琵琶湖環境科学研究センター長の内藤先生がくれたDVDを見ていると、そこに映っていた知らないおじさんが

 

「この世に無駄なものは無い。『生まれてきて良かったんだ。なぜなら〜』のなぜなら〜の部分を、これからつくっていけば良い」

 

と言っていたのです。その言葉を聞いて衝撃を受けて、五体満足でも何一つできていない、そんな自分でも、もしかしたらこれから何かできるかもしれない、と思いはじめました。それが、熊野さん(当財団理事長)との出会いでした。
 それから、いろんな内容の熊野さんの話が聞きたくて、熊野さんが出る講演会やイベントには必ず行き、「熊野さんのストーカー」と言われるほどでした。
 そのうちに、信頼資本財団で「A-KIND塾 (あかいんどじゅく)」なるものが開講すると聞いて、ちょうど会社にとって何か自分ができる方法はないかと探っていたときだったので、とにかく話を聞かせてくださいと頼み込んで入塾させてもらいました。

■A-KIND塾の仲間たちとの出会い

熊野さんはご自身で思い描く未来をアミタHD (熊野理事長が会長兼社長を務める会社)を通してつくろうとしていますが、ほかにも社会を変えていく仲間をもっと増やしていこうという思いでA-KIND塾を開講したとのことで、実際に1期生には社会に良い事業を志す色んな人が来ていました。

議論に熱中するA-KIND塾1期生たち
 驚いたのは、熊野さんが6回分の授業内容を第1講で全部話してしまったことでしょうか。熊野さんのストーカーとしては、いろんな話を聞きたかったのに、6回分を1回で終わらすの?!と思っていましたが、2回目以降は他の受講者のケーススタディを聞くというプログラムになっていて、自分のやっている事業が社会のためになるには、どう改善していけば良いかと本気で悩んでいる人たちが集まっているものだから、参考になることが多く、とても面白かったです。

 また半年にわたる講義を終えたあと、フリーマーケットで自分たちの考案した商品を売るのですが、これが特に面白かったです。ふつう、違う事業者同士で協力するというのは難しいものですが、A-KIND塾では会社経営をしていたり事業を持っていたりする人が4〜5人のチームになって一緒にフリーマーケットで売る商品を半年間一生懸命考えるので、滅多にできない経験ができたように思います。

■父親の会社の売却 新しい住まい

 私たちのチームでは、エコバッグの代わりとなる風呂敷を売ろうと出店したのですが、これが全く売れなくて。父親が経営する会社では営業をしなくても勝手に製品が売れていたので、そんな失敗経験をしたことが無かったから、めちゃくちゃショックを受けました(笑)。そのことがきっかけの一つとなり、後継者もいない新規事業もつくれていないということもあり、自分で会社経営を継続していくのは無理だと悟り、会社を事業譲渡する決意をしました。すると、ちょうど別の分野の金属加工業をやっていて、社員を増やし新しい事業を開拓して工場を大きくしたいというところが私の会社を買いたいということで、すぐに売却が決まりました。
 またそれとは別に数年前から、両親も他界し夫とも離婚して自由になったので、新しい住居を探そうということで家をみていたのです。

 

 新しい家は、せっかくだから、色んな人が私の家にやって来て、私の生存確認をしてもらいながらも、そこでワイワイいろんなことをしてもらうような空間にしたいと思っていました。
 自分が何の役にも立っていないと思っている人って、今の暮らしのなかで分かり合える人がたまたま居ないだけで、ちょっと一歩今までのネットワークから出たらもっと分かり合える人が居たり、「あなたが居てくれて良かった」って思ってくれる人が居たり、なんとなく居心地が良かったりする場所がきっとあるはずで、来てくれと言われなくても勝手に行って安心する場所というか、いつそこに行っても居場所がある、そんなところに私の新しい家がなったら良いなと思っていたのです。

 そう思っていたとき、ちょうど「町家を買いませんか」という話が舞い込んできました。熊野さんに相談したら、立地が良いと太鼓判を押してもらったので、すぐに購入を決めました。

■momo庵の開設と就活room tugumiスタート

 会社を事業譲渡し毎日働きに行くところも無くなって、やったことが無かったバイトというものをやってみようかなとぼんやりと考えていたところに、就活やインターンシップを通じて学生と企業と社会をつなぐ事業を展開している株式会社Re-birthの竹林くんと ひさしぶりに道端のようなところで偶然出会いました。そこからあれよあれよと言う間に話が進展して、改装中の家の一角にオフィスを構えて、学生の就活を支援する「就活room tugumi」という事業を始めることになりました。またそれと同時に、私の新しい住まいをmomo庵という屋号でオープンさせました。

 

有本さんの愛犬、ルナちゃん(左)と百太朗ちゃん(右)

 momo庵の名前は、私の飼っている2匹の犬(百太朗ちゃん、ルナちゃん)のうち、百太朗(ももたろう)にちなんで熊野さんがつけてくださいました。どちらも保護犬で、百太朗は背中がS字に曲がっているせいで、値段がつかず廃棄されることになっていました。ルナちゃんは、子供を産んでばっかりさせられていたけれど7歳ぐらいで産めなくなったようで、それで価値が無いと見なされていました。

 保護犬を扱っている友達に「鼻がぺっちゃんこで毛が短い犬が欲しい」と言ったら不鮮明で顔も姿もはっきりとはわからない写真が届いたけれど断る理由も無いからということで、百太朗は父が死んだ2ヶ月後に里親になりました。背中がS字に奇形していて将来的に立てなくなるかも、日常の散歩や激しい運動を30分以上させないでくださいという約束ではあったものの、なんとかなるだろうと思って受け入れました。でも実際に会ってみたら、めちゃくちゃ元気に走り回っていたので、「え?めっちゃ動くやん!!」って(笑)。

 

 なんか、「要らん」って言われるの、腹たちますよね。なんのために生きてるの、ってワンちゃんも思いますよね。今は2匹とも自分らしい、というか自分らしすぎるくらい元気に暮らしているから本当に良かったと思います。

■momo庵を「お金が介在しない社会福祉の場」へ

 助けを求めれば誰かがどこからともなく現れ、手伝うことによって相互が満たされていく。お金が介在しない社会福祉というのがその場で出来上がっている。momo庵をそんな場にしたいなと思います。いろんな人がmomo庵にやって来て、料理して分け合ったり、だべったり、遊んだり。そしてmomo庵の修理とか草むしりとか作業を手伝ってもらったりして。お互いに助け合える場、お互いに居てくれて うれしいなと思える そんな場所になったら良いかなと思っています。

 

ー有本さんにとってmomo庵はどういう存在ですか?

 

 「私の生き直しの場」かもしれないですね。自分では今まで何もして来なかったので。お金があれば何でも頼めてしまって、人に頼るということができなくなっていました。だから、私にとってこれからは、頼る練習をしっかりして、ほんとうにちゃんと生きる、生き直しの場なのかもしれませんね。

 

ーありがとうございました。