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<卒塾生同士だから聞ける・話せるインタビュー>

晴佐久 浩司さん:未来設計実践塾3期(2019年度)卒塾生

インタビュアー:A-KIND塾5期卒塾生・同期塾頭 G5designs大槻彦吾さん

 

今回は、農林水産省に勤務されている晴佐久浩司さん(行政職員向け 未来設計実践塾3期卒塾)。農水省に勤務しながらも、休みにいろんな地域に出かけて農家の人と交流したり、現在お住まいの京都市伏見で地域活動したりという晴佐久さんに、今の仕事と個人的な活動についての話をお聞きしました。

 

■役所にいてもわからないから現場に赴く

今、私は農業土木といって圃場整備や田んぼ・水路の改修などをする部署にいます。公共工事の契約担当で、ゼネコンやコンサルタントに発注する業務をしています。

仕事を進めるうえで発想を変えたりアイディアを生んだりするためには、役所の中だけにいても気づきは得られないので、個人的に地域に飛び出すようになりました。土日に田舎へ行き農家さんの手伝いをすることで、仕事で接していてもわからないようなお困りごとなど生の声を聴く機会をつくっています。実際に、現場へ行かないとわからないようなこともあります。例えば、畦道に除草剤を撒きすぎると草の根を枯らしてしまい、畦道の土が弱くなって崩れてしまうということを知りました。農業機械も大型化しているので、畦道が弱くなっていると機械が転倒してしまう危険もあります。そうしたことは役所にいても気づかないですし、知れば担当部署にこういう問題があると伝えて、問題を解決に導くことができると思っています。

 

ー淡々と話をする晴佐久さん。しかし役所に勤めながら土日を使ってまで現場に足を運び、農家さんのお手伝いをしながら生の声を聴きに行く人は多くないと思います。なぜそこまでできるのかを尋ねてみました。

 

■私にとって大切な故郷は、誰かの大切な故郷

私の母の田舎が中山間地で、農家をやっていました。父が転勤族で転校が多かったのですが、帰省先の田舎は私にとっていつも変わることなく、成長とともにすごく大事な故郷になっていきました。最初は祖父母の暮らしを良くしたいという思いで農林水産省に入ったんですけど、既に2人とも他界してしまいました。しかし、祖父母だけにとらわれる必要はなく、問題を抱えている人は日本中のいろいろな農村にいるわけだから、私にとっては同じように大切だと考えるようになりました。もう祖父母のために何かしてあげることはできなくなりましたが、農村のことを思い続ければ、誰かの大切な故郷を守れることになるなと。何より、放っておいたら農村って無くなっていくと思うんですね。私が何かをやったからといって劇的に変わることはないですが、少しでも良い形でお気に入りの農村を残していけたらと思っています。

私には子どもが3人いるんですが、よく農村に連れて行っており、子どもたちにも農村の良さを感じ取ってほしいと思っています。ただ、子どもたちにとっての故郷は、今住んでいるここ伏見になりますので、伏見の町が良くなるように地域活動もたくさんしています。地域活動は仕事とは関係なく、自分の子どもたちの故郷を良い環境にするという気持ちでやっていますので、与えられた立場のことだけをやっておけばいいという発想にはならないですね。

 

ー子どもの頃に感じた大切な故郷を守りたいという想いを抱き、新卒で農林水産省に入った晴佐久さん。これまでどんな仕事に携わってきたのでしょうか。

 

■想いが伝わった感謝状

21年間、農林水産省に勤めていますが、しんどかったことは山ほどあります。

一時期、外務省に出向していて、その時は、ある程度任されて自分で決めて仕事を進めていたので大変なこともありましたが、振り返るととても充実していた時期でした。その後、出向先から戻って来た時に、上意下達で言われてやる仕事に変わり、それまでの仕事とのギャップに非常に苦しみました。

2010年に東京での激務を離れて、京都に異動することができました。京都での仕事は現場に近く、書類だけの仕事よりはやりがいもありました。補助事業を担当していた時に、土地改良区の理事長から個人あてに感謝状を頂いたことがありました。役人をやっていてこうした手紙をもらうことは中々ないことだと思いますが、農家の方のお役に立てた嬉しい出来事でした。

 

ー山あり谷ありの仕事を経験してきた晴佐久さん。個人的な地域活動も進めている中での未来設計実践塾への参加は、どのような経緯からだったのでしょうか。

 

■未来設計実践塾で学んだ未来像からみた今の考え方

最初に知ったきっかけは、私たちの業界では著名な環境省の福嶋さんがフェイスブックでこんなのやっていますよと、未来設計実践塾を紹介していたことです。

熊野塾長が信頼資本財団とは別にやっているアミタホールディングスという会社自体は仕事柄知っていて、その活動や想いには共感する部分がありました。ただ公務員を集めて何をするんだろうという疑問はありましたけど(笑)。当時、色々な地域活動をする中で思いだけではなく裏付けとなる知識も必要と感じており、これまでと違う視点で体系的に学べるのではないかというのが、参加を決めた動機です。本当は職場が近く、仕事の帰りに会場に寄れるというのが一番の決め手です(笑)。

 

ー多様な学びとつながりを欲して参加された晴佐久さんが、今一番心に残っていることを話してくれました。

 

理想の未来から現在を逆に考えていくバックキャストの考え方を学べたのはありがたかったです。自分ひとりではなくグループで意見交換しながら、具体のテーマを形にできたのは良い経験になりました。もともと自分なりの未来像を持っていたので、これから具体に何をすれば達成できるか頭の整理ができました。現状のやり方を続けたところで、そこには到達しないことがよりはっきり認識できました。私も45歳になって、そろそろ人生を通じてやり遂げることをみつけ、そこに向けて突き進みたいと考えています。

もう1つ印象に強く残っていることは、最初に熊野塾長が熱く語られた膨大な情報ですね。あれはインパクト大きかったです。それが何かに活かされているかというとそれは違うかもしれませんが、とても印象に残っています。どんな感じかというと、古くて新しい話だなと。私も役人として、社会に関する様々な知識を持っているつもりですが痛感させられたというか、20年前から変わってないというか。SDGsもそもそもミレニアム開発目標と言っていたもののすり替えで、更に言ったらコペンハーゲン宣言のもっと昔からあった課題。40年、50年たった今もまったく同じ課題の世の中ってどうなんだ、みたいなね。人間、テーマが大きくなると思考停止してしまうので、それを思考停止せずにどう実際の行動や活動に落とし込んでいくのかっていうことに私は関心が強い方です。大きな課題を解決するためにはボトムアップ型というか、小さなことを積み上げるしかないというのが私の考えなので、同じようなことを言われている感じがしました。

塾で接するまでは、熊野さんは事業者の一人という印象だったのですが、語られた想いが嘘じゃなかったら凄いなって思いますね、本心までは洞察できませんが。ただ、あれだけの行動力で実践されているんだったら、もっと周りを巻き込めないものかなとは思っています(笑)。役所で働く中でいろんな人を見てきました。大したことをしていない人でも影響力が凄い人っていますよね。そんな人たちに比べたら、実践されていることや話されていることは遥かに優れているのになぁと。世の中は、分かりやすさを求めているのかもしれませんね。

 

ー参加して仲間と学びを得られた晴佐久さん。未来設計実践塾を振り返って、卒塾されたからこそ気づいたこと、今後へのアドバイスを続けてくれました。

 

■鬼気迫る時代の今、どれだけ実践家を増やせるか

どこにゴールを置くかによると思うのですが、1年で塾での学びの成果を出すのであればテーマを絞って、なおかつ京都に絞るとより深い学びになるかなと感じています。この塾では熊野塾長の思い描く未来につながる仕掛けや、それに近いテーマ設定での仲間づくりが目的の大きな部分を占めていると思います。僕らよりもいろんなことが見えているはずの人ですから、途中まででも未来へのルートを示した上で議論を進めたら、もっと遠くのゴールにたどり着くのではないかなと思います。控えめにされているのかもしれませんが、もっと熊野塾長の描く未来を出していってもいいのではないでしょうか。あんまり出し過ぎても、受講者の方が思考停止になってしまうかもしれませんが。
参加して感じたのは、もっと「関わりしろ」が欲しいなということです。「関わりしろ」とは熊野さんが思い描いている世界にもっと関わらせてもらう余地みたいなものです。塾に参加しているだけではそこに触れられた感じがしなかったので、もう少し関わりたかったな、見たかったなと思いました。
そして、熊野さんの想いに興味を持っている人を集めた方が、もっと密な、コアな仲間ができるのではないかな。若手の育成という観点もあるようなので今の形をとられているのかもしれませんが、待ったなしの時代ですから、この塾でどれだけ実践家を生み出せるかが重要だと思います。

 

ーそんな晴佐久さんの今実践していることと、思い描く未来とはどんな社会かを最後に聞きました。

 

■本気で夢を実現する人たちと応援する大人たちがつくる未来

定年までは京都伏見に住む予定ですが、地域の子どもたちのために、公園でのプレイパークなどの活動を続けていこうと思っています。私は兵庫育ちですが、公園って当たり前に子どもたちがワーッといるような場所だったんです。京都に住んでみたら公園の禁止事項も多いし、遊んでいたら怒られるとか、子どもが遊んでいる姿が無いなという印象で、そういうのを変えたいなと思っています。子どもが自由にのびのびとする場や機会が減っていっている、それは可哀想すぎますよね。大人になれば嫌でもやらなければいけないことがたくさんありますが、子どもの時だけはそんなことを気にせず遊ばせてあげたいというか、そういう環境を伏見でつくっていきたいですね。

 

そうするためには、私たち大人世代が示してあげないと。本気で遊ぶとか、本気で地域のことに関わるとか、それは「○○事業」という形でやるものじゃないですよね。大人が実際に自分でやれることをやればいいだけなので。子どもは、そんな大人の姿を見てないようでしっかり見てますからね。私の息子は中3で、私のやっている活動には参加してくれませんが、たまに活動が新聞に載ったときに見せているので何をしているのかは知っています。少なからず何かを感じてくれていると思っています。

 

 

それと月1で「夢のカタリバ」というのをやっています。地域を良くしたいという伏見の大人を集めて、本気で夢を語ってもらう場です。夢に大きいも小さいもないので、みんなで夢を聞いて応援しようという場をつくり始めました。今後1年、2年かけてまずは仲間づくり。これが大きくなっていったら面白くなると確信しています。私も結構いろいろなところに顔を出して知り合いも多いのですが、今日のインタビューみたいにじっくり話を聞かれることってあまりないんですよね。なんとなく会って、なんとなく知り合っているんですけど、じゃあその人がなんでそんな動きをしているのかというのを聞ける機会は、敢えて場をつくらないと永遠になくて、「夢のカタリバ」で、それを丁寧にやってみたいと考えています。その人の本当の想いを聞くと、より親身になって応援もできるだろうし、そういう人をもっともっと増やしていけば自ずと地域って良くなっていくと思って。サラリーマンだとどうしても自分の想いとは違うことをしなければならない部分もあるので、時に仕事が手段になることもあります。なので、こういう活動は私のライフワークです。

 

 

■インタビューをした大槻より■

晴佐久さんとのインタビューをする前に私が感じていたのは、失礼ながら気難しそうな方だなという印象でした。しかし、このインタビューを通じて「子供心を持った大人」なんだと感じ、その落差に驚きました。祖父母の暮らしを良くしたいという幼少期の想い一点で農学部を選び、農林水産省に入省された後も、それぞれにとって大切な故郷を守るため、休みの日も活動をされている姿勢、また、東日本大震災直後に、信頼性の高い情報を提供するためのウェブサイトを立ち上げ、約半年間にわたり、震災直後の衣食住支援に関する情報提供を続けたという話など、とても感銘を受けました。

PROFILE 晴佐久 浩司(HARESAKU Koji)

1976年大阪生まれ。山間部の故郷に憧れを持ち、愛媛大学で農学部を専攻。同大学院に進み、2000年に地域開発学の修士課程を修了。大学時代にバックパッカーでアジアを中心に10数カ国の農村を訪問。祖父母の暮らしを良くすることを目標に、農林水産省に就職。これまで外務省、国土交通省に出向するなど幅広く行政経験を積み、現在、近畿農政局にて公共事業の発注業務を担当。 京都伏見に住居を構え、3児の父親。子供たちの故郷となる伏見で様々な地域活動を実践し、魅力的なまちづくりに尽力。現在所属している主な活動は次のとおり。 ・健康長寿のまち・京都市民会議 理事 ・伏見少年補導委員会桃山支部 役員 ・桃山プロジェクト 副代表 ・伏見寒天プロジェクト 副代表 ・伏見~るかるた事務局 監査 ・南部公園愛護協力会 会長

(公財)信頼資本財団 未来設計実践塾3期卒塾。3期副塾頭。

 

 

(2021年12月インタビュー)