『無自覚』という点においての相似
新型コロナウィルス(COVID-19)の特徴と言われているものの一つに、「感染ピークが、発病の2日前」説がある。
これから研究が進むと真偽のほどが明らかになってくるのだろうが、この「発症する人も無自覚な間に感染させてしまう」という話を聞いた時、近代工業社会の行き過ぎに無自覚が多かった年月のことを思い浮かべた。
50余年前から、先進国では各所で公害が認知されるようになり、1962年に出版されたレイチェル・カーソンの『沈黙の春』や1972年シューマッハの『スモールイズビューティフル』、ローマクラブの『成長の限界』、ダニエルベルの『脱工業社会の到来』といった未来に対する警告の書が多く出た。
1972年のストックホルム人間環境宣言には、戦後の先進国の急速な経済発展とそれに伴う資源の限界、人口・天然資源・環境など地球上における諸要素の相互依存性、途上国における貧困からの脱出という環境問題、すなわち「新たな問題」が浮上してきたとの認識を背景に113ヶ国が参加した。
さらに、1987年の環境と開発に関する世界委員会(ブルントラント委員会)報告書「Our Common Future(我ら共有の未来)」やモントリオール議定書に、未来のリスクを予防するという「予防原則」が明記され、工業化による問題、環境問題は社会学的要素から点検する時代に突入する。
一方、同じく1987年に起きたブラックマンデー(株価大暴落)以降、金融商品が発達した。
実体経済ではなく貨幣経済市場を発展させ、「予防原則」にもとづく不安さえも購買行動につなげられるようになった。
1996年に出版されたシーア・コルボーン等による『奪われし未来』は、さまざまな合成化学物質が人体のホルモン分泌系をどのように破壊しているかについて書かれたものだ。ホルモン分泌系への影響という視点は、人間の性発達から行動、知性、免疫系の働きにいたる領域への問題だけでなく、生物多様性にも大きな問題を提起してきた。
こうして、あまりにも無自覚に日常を過ごし、問題の本質に対応せぬまま、見えない未来に対する不安をあおられコントロールされ、問題そのものを悪化させてしまった日々を思う。
大事なことは、私たちが強制的にではなく自発的に自立し(自立するとは相互扶助の関係を築けるということである)、尊厳をかけて活動出来る社会環境の構築をしていくことだったはずであり、それが今も求められていることである。
この判断軸が、個々の尊厳を守り、市民社会の尊厳を守り、未来の子供達の尊厳を守る、これからの時代ための大事な価値観になる。
不安からの解放と自由の獲得のために権力に頼ったり、権力に良心を期待したりするより、自らが日々の生活の中で自覚する個人として社会性を発揮出来る社会の構築者になることだ。
そうでなければ、自然や人間を経費にする行き過ぎた工業社会が、これからも形を変えて続くことになるだろう。
新型コロナウィルス禍により、現代社会で見えなかった関係性が見えてきた。
すなわち、有名無名に意味はなく、農業者や漁業者、食料品販売や配達者、医療従事者といった暮らしを直接支えて働く人々のありがたみが見えた日々だった。
与えられる経済に身を委ね無自覚に生きる時代から、見えなかった関係性一つ一つにに気づき、自覚して自立心を持ちながら信頼関係を育み助けあう共同体のネットワーク時代を目指し続けよう。
2020年9月