シンライノコトバ

2021.09.01

箸とフォーク

選挙の足音が聞こえるたびに、国や自治体の様々な意思決定を委任されているこの人たちは、硬直化している仕組みを時代に合わせて改革する責務を感じているのだろうかと考える。

 

明治という時代に入り、ステーキやスープが供されるようになり、ナイフ・フォーク・スプーンという道具も共に入ってきた。

しかし、それまでの習慣や経験にこだわる人は「ステーキは箸でも食べられないことはない、スープも椀に入れれば飲める」と受けつけなかった。

こんな、落語みたいな話が、21世紀の日本でも、まかり通っている。

新しい取組みについて話をすると、行政でも学府でも民間でも「今までの法律や規則の枠内、以前やったあの方法でやろうと思えば出来ますよ」と言われることがある。

そこに既得権が生まれていると、時代が移っていく最中でも、新たな取組みへの合意形成は難しくなるということなのだろう。幾度とない経験でわかっているつもりになっていても、同じ壁に突き当たる度に、未来をどうする気なのかとやりきれない思いになる。

 

以前にもこの欄で触れたが、1973年『スモール イズ ビューティフル』を出版した経済学者シューマッハーの言葉をまた引きたい。

「経済学が国民所得、成長率、資本算出率、投入、労働の移動性、資本の蓄積といったような大きな抽象概念を乗り越えて、貧困、挫折、疎外、社会秩序の分解、犯罪、現実逃避、ストレス、混雑、醜さ、そして精神の死というような現実の姿にふれないのであれば、そんな経済学は捨てて、新しく出直そうではないか。出直しが必要だという『時代の兆候』は、もう十二分に出ているのではないだろうか。」

この言葉からもう半世紀が過ぎた。

「量的規模拡大が持続する経済を支える健全な社会」という時代から「豊かな人間関係や自然関係が持続する社会を支える健全な経済」という時代に移行することに躊躇している間は無い。

経済のための社会でなく、社会のための経済の時代へ。

時代が変われば手段も変わる、経験の継承や過去の分析のみにこだわっている場合でない。

 

技術イノベーションの時代の駆動力は企業だった。

インターネットが生まれた市場イノベーションの時代の駆動力は情報だった。

オープンリソースが主流になり、民業も官業も解放型になっていくこと、このような世界の変化への理解に日本は出遅れた。

そして、現在来ているSDGsやサーキュラーエコノミーやESG投資の時代は、社会イノベーションの時代であり、その駆動力は生活である。

豊かな自然関係や人間関係を増幅するためのライフスタイルは、商品の購買動機を変え、これによって商品の価値が変われば、企業が変わる。

企業が変われば、産業が変わり、産業が変われば社会が変わっていく。

 

部分部分の状況分析からなる判断を止め、現在起きている状況や個別状況の因果関係を想像し、原因を分析し、仮説を立て、検証を行い、新たな解決策を生み出すきっかけをつくっていくこと、そのようなトライアンドエラーがさらに重要になっていることを認識し、実行に移す時はもうかなり前から来ている。

 

ステーキとスープに箸と椀で対応しようと固執し続けたり、そうした意見が多数を占めているからと無自覚に引っ張られていては、コロナ禍で不安が蔓延した社会において、希望のある未来を描くことがますます困難になっていくばかりか、時には希望の無い未来に加担したことになってしまうだろう。

 

自らの心に、経済を支えるための社会という価値観が巣くっているなら、これを手放し、既にともに在る、またはこれから出会う仲間と共に未来を描いていこう。



2021年9月1日 

信頼資本財団 理事長 熊野英介