シンライノコトバ

2021.07.01

未来はあるかどうかはわからないけれども、希望ならばある。

この言葉には、「文明の解体と創世期が、いま生まれつつある瞬間ではないか。」という一節が続く。

水俣病患者と共にあり、その暮らしや思いを描き続けた作家石牟礼道子氏が、東日本大震災と福島原発事故を経験した後に語る姿を映像世界で再構築している映画「花の億土へ」で述べている。

「花の億土へ」というタイトルは、「花であるような星であるような。生命たちの中の生命があかりになって、ほのあかりの中の遠い遠いところへいく野道、見えている闇、真っ暗じゃなくて。そういうのを見たいというのが私の希望です。」という言葉からとあった。

希望というのは、多くの生命のほのかなあきらめないという力の集合体だと思う。

 

なぜ、工業化社会は、行き過ぎて、富と引き換えるかのように「公害問題」を引き起こしたのか。

なぜ、当時世界第2位の経済大国だった日本の近代システムは、東日本大震災時、こんなにも脆いことを露呈してしまったのか。

なぜ、行き過ぎた工業化社会の近代システムが、人間の尊厳を守れないことを知りながら、「文明の解体と創世期が、いま生まれつつある瞬間ではないか」と、社会は自覚しないのか。

 

人類は、食物の競合をしていたゴリラやチンパンジーによって森から追われ、リスクの高いサバンナに進出した。

そこで、共同体を形成し、連携して、狩猟採取の知恵や道具を開発していった。

つまり、コミュニケーションの増幅が、創造性の拡張になった。

そして、言語を取得し、文字を発明し、身体拡張による行動の自由と頭脳拡張による表現の自由を手に入れ、文明を築いていった。

こうした人間が地下資源を本格的に採掘し始めた産業革命は、自立した中産階級を多く生み出し、資本主義のエネルギーで市民革命を起こし、身分制度を壊した。

貴族から市民の時代へ、小さな力を集めて大きくするという民主主義と資本主義時代の到来。

身分制度を壊すという「希望」を概ね実現した近代文明は、多くの人々の理想を照らし輝いていたはずである。

 

アダム・スミスの『国富論』は、分業と協業による能力競争で優秀な労働者の能力の総和が国富になると説き、神の子である倫理的な個人は、利己的に能力を追求することが、近代の自由な姿であると提示した。

その結果、国富が高ければ、能力が高い国民である、能力が高くなければ国民の義務は果たせないという価値観になり、能力格差による個人差別、国家間の民族差別や宗教差別を助長した。

この能力格差による価値判断は、資本主義国も社会主義国も同様に持ち続ける事になった。

理由は、工業化社会観を近代文明の基礎基盤にし、産業革命の原動力にしたからだと思う。

分業で効率や生産性を獲得する能力競争による価値判断が上位になり、共感や人間性に価値をおく判断が下位になってしまった。

結果、国民の幸福度を上げることを任じる国家機能は、経済力を上げることになってしまい、生態系や人間の社会性を劣化させた。

こうした文明に対し、石牟礼道子氏は、「文明の解体と創世期が、いま生まれつつある瞬間に希望がある。」と語っている。

では、コロナ禍とその後を新しい文明を目指す創世期と考えた時、どのような生命力のほのあかりを道標に歩き出せばいいのだろうか。

1973年に『スモール イズ ビューティフル』を出版したシューマッハーは、「経済学が国民所得、成長率、資本算出率、投入、労働の移動性、資本の蓄積といったような大きな抽象概念を乗り越えて、貧困、挫折、疎外、社会秩序の分解、犯罪、現実逃避、ストレス、混雑、醜さ、そして精神の死というような現実の姿にふれないのであれば、そんな経済学は捨てて、新しく出直そうではないか。出直しが必要だという『時代の兆候』は、もう十二分に出ているのではないだろうか。」と既に述べている。

彼は、その解決は「少量消費の最大幸福」の実現であるとして、仏教的経済学の必要性を説いた。

 

工業化社会のイノベーションは「技術」だったので、その駆動力は「企業」だった。

そして、基本的な財の供給が飽和した頃、プロダクトアウトからマーケットインという市場のイノベーションが始まった。

その時の駆動力は「情報」になった。

20世紀後半からのインターネット発達により、ディープラーニングやブロックチェーン、AIや量子コンピューターなど、情報技術の進歩は、目まぐるしいものがある。

さらに人間性は、置いてきぼりになる観がある。

しかし、2015年にパリ協定に世界のほとんどの国が調印し、現在では国連加盟国の全てが調印をしている。

その時代の流れは、SDGsやサーキュラーエコノミーの価値観を社会共通のものとし、温暖化防止の加速度をあげているようだ。

これは、社会のイノベーションといっていいのではないか。

社会構造を変えるイノベーションの駆動力は「生活」である。

暮らし方が駆動力になり、市場を変え、社会を変えていく時代の流れがきている。

我々の人間性が増幅する暮らしをすれば、社会が変わるということである。

 

まずは、経済的購買動機から社会的購買動機へシフトすることで、「かせぎ」と「つとめ」と「くらし」の距離を近づけることができる。

そうなれば、働けば働くほど、買えば買うほど、売れば売るほど、【豊かな関係性(自然資本と人間関係資本)】が増幅する仕組みになっていくのではないか。

コミュニティ自治ネットワーク社会の構築を新しい生活圏構想とし、「最小の負担で最大の安心を手に入れる」という当事者意識を持った市民自治社会を目指すことが可能になる。

人間の限りない利己的な欲望で傷ついた生命システムを修復し、生命の尊厳を守る新しい文明の創世期に参画するという人間性を多くの人が意識し、共有し、拡散できる、その証明が「希望」ではないか。

 

「未来はあるかどうかはわからないけれども、希望ならばある。」



2021年7月1日 

信頼資本財団 理事長 熊野英介


※映画「花の億土へ」の予告編映像はこちら。

http://www.fujiwara-shoten.co.jp/%E6%98%A0%E7%94%BB%E3%80%8E%E8%8A%B1%E3%81%AE%E5%84%84%E5%9C%9F%E3%81%B8%E3%80%8F/