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2015.07.28

国家・市民・民主主義

59年前の1956年5月1日、「原因不明の中枢神経疾患」として患者5名の例が水俣保健所に報告された。この日が水俣病公式発見の日とされている。
第2次世界大戦を経て、軍需産業の民生転用による工業経済が、自然と人間を猛烈な勢いで経費に計上し、高度成長の原動力になっていった。その中で、物質的な飢餓貧困はどんどん解消されていったが、「豊かな」生活を享受する陰影として公害が発生した。
 
物質的豊かさの本質は、何であろうか?
世界第3位の経済大国の日本の社会基盤で起こっていること。
男女とも15から34歳の若い世代の死因のトップが自殺。この世代で死因のトップが自殺という国は、アメリカやドイツなど先進7カ国のなかで日本のみ。人口10万人あたり20人に上り、2番目に多いカナダの12.2人を大きく上回っている。
同時に、若者の貧困問題も深刻である。
ジニ係数と呼ばれる、社会全体の格差を表す指標で見ると、日本の格差はOECD諸国34ヶ国の中で、大きい方から数えて10番目となり、相対的貧困率で見ると、16.1%と6人に1人を貧困状態としている。特に、1985年から2012年の30年近くの間に、20から24歳の男女では、貧困状態と言われる割合が10%上昇し、他世代と比べて大きくなっている。
つまり、高度成長が止まったあとの日本は、不況や緊縮財政のつけを、若い世代により大きく押しつけていると考えられるのではないか。
こんな状態で、この国の未来はあるのだろうか?
高度成長時代、我々は官民一体となって、個人の自由を喚起し、地方から大都市へ、愛着より消費へ、手間より効率へ、地域より家族より個人と社会へとの常識を構築し、GDPを上げる事を目的に経済大国を目指した。
しかし、今になって社会的事業とか地方創生での経済的成長をと官民挙げて言い始めている。
 
本質的な事を表面的ブームにするのでなく、新しい文明論の中での人類史上の進化として世に問いたい。
産業革命と市民革命で近代の幕が開いて約250年、人類は資本主義と民主主義を駆動力として、経済と政治を「進化」させてきた。日本においては、西洋のように市民が主導した革命でなく、「上流階級」の権力闘争からアジアで初めての国民国家が誕生した。国家が主役の国造りの結果、多くの国民が消耗させられた。神道の清浄や仏教の諸行無常・憐れみの国から、富国強兵、富国経済と常に精神よりも構造化が先に来る国になった。
これに伴って、いつの間にか、国民は個人としての側面を肥大させ、自己判断することをしなくなり、経済は製造から消費になり、既存から選択することのみを望み、積極的に被害者側に立ち、傍観者的立場で批評を繰り返す依存社会を創り、未来にまでしわ寄せを押し付けようとしている。
個人の尊厳と社会の尊厳と未来の尊厳を守る新しい近代文明を構築するために、その三つの尊厳の均衡点にある「生命持続性」環境を守る文明論を世に問い、未来の人類が、希望に満ちた時代を自らの力で切り拓く方向を示す必要がある。
 
2012年末に1票の格差で憲法違反の判決が出た衆議院議員総選挙があり、小選挙区制で多党が乱立、当時史上最低の投票率、小選挙区で自民党議員に投票したのは全有権者の約25%、比例代表制で約16%に過ぎないにもかかわらず、圧倒的多数の自民党議員が生まれた。憲法違反の選挙の低い得票率で生まれた大多数議席占有政党が憲法を解釈改憲しようという大矛盾の国。
続く2014年末にも解散総選挙が実施されたが、当選挙もまた、内閣不信任議案が無く、与党は大議席を保有しており、国民に信を問うべき重大な案件を解散理由にしていないという点において、憲法69条および、これをベースにした制度の視点から考えて、重大な問題を孕んでいると言わざるを得ない。つまり、憲法69条による、内閣不信任決議案が可決されるか信任決議案が否決された場合に対抗する手段としての解散でもなければ、裁量的解散が許されるような重大な争点(例えば現在の安保法案や原発稼働の是非を問うような)ではなく、消費税引き上げを延期するということを争点にした、いわゆるアベノミクス解散であった点において、解散権の濫用であったのではないかという問題である。
この流れを整理すると、2012-15年 の3年間に憲法違反とされた選挙において、低い得票率で大多数の議席を占有した政党が憲法違反のまま組閣し、憲法違反の解釈改憲を実施し、集団的自衛権が行使できる国にしようとしているということになる。そして、未来のある人達が戦争に行くことになるかもしれない。
 
これでは、過去に戻ってしまう。
司法が侮られ、国民が侮られていると私は思う。近代の成立は、強い王権に虐げられた市民が、人間の尊厳を求めて市民革命を起こしたが、今、国民主権が虐げられているこの時代に何をしていくべきなのだろうか。
我々は、このような国の運用のために税金を納めているのだろうか。
国民の3大義務として日本国憲法で定められた、「教育の義務」「勤労の義務」「納税の義務」を果たしている国民が戦争に巻き込まれようとしているのではないか。政府は、国民の生命と財産を守る義務を果たそうとしていないのではないか。
水俣病をも発生させた富国経済。300万人前後と言われる日本人犠牲者を発生させた富国強兵。人間の尊厳を守れなくなった国家から、そろそろ豊かな自然と人間の国を守る民衆が動き、多数決を正義にするのではなく、デモクラシーと言われる民主制を尊び、常に少数意見に耳を傾け、未来につけを残さない、全体幸福を目指す価値観を大事にする仕組みを考える時代になったと思う。
物質的高度成長経済から精神的高度成熟社会へ移行する時代に成すべきことを多くの人と共に考え、実践していきたい。
 
2015年 7月
信頼資本財団 理事長 熊野英介