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関係先インタビュー

INTERVIEW
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Home 関係先インタビュー 休眠預金助成先インタビュー記事 -12-

株式会社革靴をはいた猫

●同団体プログラムオフィサーサポーター 佐橋 賢治

 

休眠預金による助成先と各団体の伴走者(プログラムオフィサーサポーター=POS)にインタビューして作成した記事を掲載しています。
各団体のインタビュー記事はPOSが、POSのインタビュー記事はプロジェクトチームである「チーム・Dario Kyoto」が行いました。

いのち輝く未来社会のデザインをめざして、若者が社会に“希望のたいまつ”を掲げる!
株式会社革靴をはいた猫

「革靴をはいた猫」の創業は2017年3月、もうすぐ5年目を迎えます。魚見航大さんが学生時代に起業した、靴を磨き修理し、よみがえった靴を販売する会社です。その、とてもドラマティックな「革靴をはいた猫」誕生の物語から現在・未来に至るお話を、魚見さんと、創業前からチームメンバーとして活躍する後藤大輔さんのお二人に伺いました。

「革靴をはいた猫」の面々。向かって左から、宮﨑さん・後藤さん・丸山さん・藤井さん・魚見さん

 

その人たちなしには始まらなかった「物語」

最初は出張型の靴磨きからスタートしました。ホテルや会社等に伺って、その場で従業員やお客さまの靴を磨いてお返しするサービスです。御池通に直営店ができたのが1年後の2018年2月。創業メンバーの一人である藤井琢裕さんの「お店がほしい」という夢をきっかけに、多くの応援が集まり実現しました。

その「革靴をはいた猫」のルーツは、魚見さん・後藤さんが龍谷大学学生時代に参画した“大学内のカフェを盛り上げる活動”にあります。キャンパス内にある障がい者就労継続支援B型事業所の「カフェ樹林」。障がいのあるなしにかかわらず、学生・若者が共に学び高め合えるプラットフォームをめざして、カフェで働く障がい者と学生が一緒に学ぶプロジェクト「トリムタブ・カレッジ」が生まれました。立ち上げを手伝うことになったのが、魚見さんを含む総勢30名ほどの若者たちだったということです。

「“カフェのおばちゃん”と呼んで僕たち学生が慕っていた河波さんや、仲間たちが、自分の人生を見出してくれたんです」と魚見さんは振り返ります。「カフェのおばちゃん」こと河波さんは、10代の頃から日本を飛び出し、インドに渡って以来、国際貢献活動に長年従事しており、ずっと海外に目を向けていた人だそうです。そんな彼女がふと日本国内に目を向けてみると、日本の若者に生きがいや活力を感じられない課題があることに気づき、縁あって関わった龍谷大学のカフェを拠点に若者をエンパワメントする活動を始めました。エンパワメントの手段として考えついた「靴磨き」。魚見さんは河波さんに「靴磨きはどう?」と提案されて、「この人が言うならやってみよう!」と靴磨きプロジェクトのリーダーになったと言います。

 

■事業化へ

まずは、魚見さんたち学生が靴磨きの専門店に修行に行きました。靴磨きの他にも、飲食や農業も事業化に向けてトライしたそうです。

卒業を間近に控え、今までの活動を報告するシンポジウム「自らの舵を取れ」の開催もしました。プログラムの目玉として実施したパネルディスカッションでは、大学の先生や大企業の人事部や就労支援活動に携わる方々と共に魚見さんたち学生も登壇しました。全体に通底していたのは「障がいの有無にかかわらず、若者が自らの人生の舵を取って主体的に生きる」という主旨でした。会そのものは100名近くの参加者があり大盛況でしたが、障がい者雇用に関する話に漂う空気は「彼らを守らなければならない」というものでした。これに対し、後に創業メンバーの一人となる宮﨑雅大さんは「新たな取組みへの挑戦の機会を与えなければ、成長も望めない」と果敢に反論しましたが、魚見さんは言いたいことを充分に主張できなかったそうです。

魚見さんのこの苦い想いが起業の決心につながりました。「障がいの有無に関係なく、挑戦する環境があれば誰もが変わっていける、だからどんな人にもチャンスをつくることが大事だ」と言いながら、挑戦する姿勢を持ちきれずにいる自分。大学卒業時に「やらないと、きっと後悔する」と確信した魚見さんは起業を決意したのです。宮﨑さんに「応援するよ」との言葉をもらい、河波さんや他の仲間にも報告しました。こうして、みんなの想いをのせた事業化の第1号として「革靴をはいた猫」が誕生しました。

創業初年度の社員は魚見さん一人でした。現在、「革靴をはいた猫」の中核メンバーとして活躍している丸山恭平さんと藤井さんは修行を続けており、宮﨑さんは「カフェ樹林」を運営する社会福祉法人に就職して河波さんの元で教育を担当していました。そして、店舗が誕生するタイミングで全員が合流しました。

 

■ひとのつながりに助けられて

創業直後のクライアントは大学の教授会や企業でした。「事業自体の社会性が高かったので、本当に多くの方が助けてくれました」と魚見さんは語ります。特に、京都信用金庫さんは数えきれないほど多くの職員さんが応援してくれました。

最近は、大丸京都店を拠点に、誰かに履いてほしい靴を寄付していただき、若者がよみがえらせて販売する“手放す貢献プロジェクト”に取り組んでいます。2021年1月末から、靴の寄付を集めるという催事イベントを実施したところ、1週間で822足が集まりました。今まで応援してくれた人が大勢駆け付けてくれたこと、またTV放映が重なったことが大きな反響を生みました。

「寄付をきっかけにご縁をいただいた方がそのままお客さまになってくださると、より多くの若者が職人になることができます」と二人は語ります。また、寄付いただいた靴をよみがえらせ、次に履いてくださる方につなげる販売や、革靴に比べて認知度が低いスニーカー部門を強化することなど、着手したいことはたくさんあります。

大丸店にて。丁寧な仕事ぶりに定評があります

 

■休眠預金助成事業で実現したいこと

2013年大学時代からの活動により、学生・若者の育つプラットフォームができあがってきました。しかし、学生は毎年卒業していくことから若者だけでは継続が難しいので、今も事業を応援しつづけている全国のOBOGは数十名にのぼります。草の根から始まった取組みを、社会のなかに根付かせたいという想いから、2019年には母体となる一般社団法人日本インクルージョン協会が立ち上がりました。

一方、増えつづける新たな仲間たちが職人として活躍するための靴はまだまだ足りない状況です。

「“手放す貢献プロジェクト”をきっかけに靴磨き・靴修理・寄付靴の再生販売を大きく広げていきたいという想いを、(公財)信頼資本財団さんが受け止めて実行団体としての採択という形でチャンスをくれました」と二人は語ります。「革靴をはいた猫」と(一社)日本インクルージョン協会、(株)MIYACOさんの三者でコンソーシアムを組んでチャレンジしています。

まずはコアメンバーとなる志を同じくする学生10名を集めると計画し、進めています。「彼らを前に立てながら、手放す貢献プロジェクトを盛り上げ、助成が終わる2月以降も継続していきたいです。その足掛かりとして、休眠預金助成事業は本当にありがたいです」と魚見さん・後藤さんは口を揃えます。

 

■今後について

よく間違われるそうですが、「当社の事業はB型事業にはあたりません」と魚見さん。つまり、社会に出るための就労支援の場ではなく、支援機関を卒業した人が存分に活躍できる雇用の場をめざしているとのことです。若者の教育プロセスは(一社)日本インクルージョン協会が担当していて、いつも密接に連携を取っているそうです。

「コロナ禍もあり、孤独・孤立がますます深刻な課題になっています。若者の自殺も増えています。未来に希望を持てない人が私たちを見つけて連絡をくれたときは、本当にうれしいです」と魚見さん。彼の言葉に続けて「靴の持つ社会的な意味合いを変えたいんです。単なる移動の道具ではなく、靴を“人生を切り拓くアイテム” にしていきたい。そのためにかけがえのない一足に出会ってほしいですし、そのお手伝いをできることがとてもうれしいです。新しい靴の文化が広がった世のなかには、靴で道を拓いた若者がたくさんいるはずです」と語る後藤さんの隣で魚見さんがしっかりと頷いていました。

 

 

 

インタビューをしたPOS佐橋より

魚見さん・後藤さんには、出会った人が全員応援者になってしまう不思議な魅力があります。その高い志に、お会いするたびに自分が恥ずかしくなり、また勇気と元気をいただきます。彼らのめざす世界を一緒に実現させていきたいと思います。

 

 

Information

団体名:株式会社革靴をはいた猫

住 所:京都市中京区御池通御幸町西入る亀屋町370-1サンルミ御池1階

電 話:090-8387-8143

HPアドレス:https://kawaneko39.com/

取材日:2021年8月2日

聞き手:佐橋賢治

 

同団体プログラムオフィサーサポーター 佐橋賢治

 

柔和ななかに見え隠れするタフネスの秘密

ソフトな物腰、穏やかな佇まいの佐橋賢治さん。現在は自ら立ち上げた株式会社ライフスタンダードで、生活雑貨店・メーカーのコンサルティングを取り仕切り、国内外を飛び回っています。主に郊外型の生活雑貨店やメーカーを顧客とし、ボランタリーチェーンという仕組みを取り入れ、生活雑貨業界で知られる佐橋さんに、お話を伺いました。

 

人生の羅針盤は旅先で出会った一冊の本

愛知県生まれの佐橋さんは、同志社大学商学部に入学。大学時代は学生プロレス一筋だったとか。

「同じサークルの1年後輩にレイザーラモンHGがいて、部室で毎日一緒にずっとプロレスに熱を上げていました。毎月あちこちでリングをつくっては試合を重ねていたんです。当時はプロレス黄金時代で、その結果留年しました」と笑う佐橋さんですが、留年時代に現在の彼を形づくる決定的な体験をします。

「世界放浪の旅をしていたとき、インドの古宿でボロボロの本のページをめくっていて、そこに書かれていたことに心をつかまれたんです。『仕事は10年ごとに変えていき、積み上げていくと、すごい人材になる』という内容でした。80点を90点にする努力よりも、80点で次のステージに行き、そこでまた80点積み上げたほうが貴重な人材になれますよ、ということが書いてあった。お、これカッコいいなと思って、実践してきたのがこれまでの自分です」。

20代は現場を勉強しようと、現場が強い百貨店に勤務。30代は経営の勉強をしようと、経営コンサルタント会社へ。40歳からは経営の実務を、ということで起業。そして50代からは海外移住。これが20代前半で立てた佐橋さんの人生設計図でした。

 

モーレツ社員として実績を積み上げた船井総研時代

最初の職場・伊勢丹では10年間婦人服を扱い、商売の基本を学びました。次に(株)船井総合研究所が主宰する若手向け塾の生徒となり、その後そのまま中途入社。ひとりで20~30社担当し、朝から終電の時間まで現場指導を行い、売り上げを伸ばすということに没頭しました。

船井総研では、会社に25連泊するほど、誰よりも働いたということで社長表彰をもらったそうです。しかも2年連続で。「まさに寝ずに働く、死ぬ気で働くんです」と佐橋さんは爽やかに笑いますが、大学時代にプロレスで培った体力が役に立ったと言えるかもしれません。

生活雑貨を得意としていた佐橋さん、「雑貨業界では累計700店舗くらいの業績改善の実績があります」とサラッと言ってのけるところにすごみを感じます。なぜ生活雑貨だったのか、と言うと、船井総研の教えに「いちばんをとれ」というものがあります。鶏口となるも牛後となるなかれ。そこで佐橋さんは、前職で積み上げていたアパレル領域ではなく、まだ規模も小さく、当時あまり誰も目をつけていなかった「生活雑貨」の領域で日本一をとろうと、業界に飛び込みました。

全国の生活雑貨店を徹底的にリサーチして回り、泥臭い手法をひたすら積み重ねました。

来る日も来る日も地道な作業を続けるなかで見えてきたのが、「繁盛店が売れている理由」でした。そんなふうに足で情報を稼ぎながら、並行してコンサルをするという毎日を繰り返し、あっという間に10年が過ぎました。

 

ポートランドが変えた人生観

「アメリカで住みたい街ナンバー1と言われているポートランドですが、そのポートランドツアーというのを企画主催したんです。20人くらいで1週間かけて、会社を訪問してインタビューしたり、世界最先端の生き方、企業経営の方法などを探るんです。自分で言うのも何ですが、それがめちゃくちゃ素晴らしかったんですよ」。

ポートランドでは、世界中からユニークなひとたちが集まってきていて、働くのも夕方4時までだったり、週末はトレッキングで汗を流したり、ともかく「生きることを楽しむ姿」を素晴らしいと感じました。なぜそういう生き方が可能になっているかと言うと、世界中を相手に商売をしているからだ、と。70万人の地方都市ですが、ポートランドブランドをつくり、マーケティングの相手は世界中ということが実現しているのです。

「たとえば地場の小さなチョコレート屋さんなのですが、パッケージは友人のNIKEのデザイナーがやっていたり、ウェブを駆使して世界に販路を広げるなど、すべてがクリエイティブすぎて、自分の価値観がひっくり返ったんです」。

こんなにチャレンジしているひとたちがたくさんいるのに、自分がチャレンジしないのはダメだ、と、佐橋さんはすぐ起業準備に入りました。

「ボランタリーチェーン」という仕組みがあります。文字通り「自主的なチェーン」という意味ですが、実は家電業界や寝具の業界といった斜陽業界に多くある形態なのだとか。中小小売店が同じ志の元で連携し、全国チェーンのようなスケールメリットを出すのです。佐橋さんは「これだ」と、この仕組みを雑貨業界に取り入れました。これは業界的には画期的なことでした。

佐橋さんは自分で立ち上げた会社を「ライフスタンダード」と命名。新しい生活のスタンダードをつくり、自分も生まれ変わりたい。そして、周りのお客さんたちも生まれ変われるような、そんなプラットフォームを生み出したい、という想いが込められています。

 

●財団とのご縁と休眠預金助成事業との関わり

およそ10年前のこと、ある取引先にコンサルティングに入っていた関係で、やがて自身も信頼資本財団の社会事業家塾に参加するようになりました。

「ライフスタンダードのチェーンはもともと、信頼に基づいたグループなんです」と言う佐橋さん。情報もお互いに開示して共有し、共存共栄するという思想。塾で勉強するなかで、互いに関係性をより深めていき、それを事業にも反映させていく、という考え方が「とてもしっくりきた」という佐橋さんだからこそ、卒塾後も自然と財団と関わりつづけているのでしょう。そんななかで今回の休眠預金助成事業のお手伝いに声が掛かりました。

「担当する『革靴をはいた猫』さんにはいろいろ課題もあります。楽観はできませんが、いまの経営構造で売り上げのアップラインを集めていく、ということを考えています。ネットとリアル店舗と両方ありますし、大丸出店という展開もあります。自分のいままでの経験を活かして関わっていきたいと考えています」と語る佐橋さんは、やはりとても頼もしい縁の下の力持ちだと感じました。

ポートランドの人気カフェに突撃取材

PROFILE 佐橋 賢治(SAHASHI Kenji)

愛知県小牧市生まれ。百貨店(旧伊勢丹グループ)で婦人服のバイイングを勤めたあと、(株)船井総合研究所に11年間の勤務を経て独立。船井総研勤務時代は生活雑貨業界のコンサルティング領域を新たに立ち上げ、700店舗という日本でナンバー1の支援実績を持つ。中小雑貨店のすべての「困った」を解決するため、生活雑貨店のボランタリーチェーンを立ち上げ、生活雑貨業界の「革新」を進めている。著書『はじめよう!小さな雑貨屋さん』もある。

(公財)信頼資本財団A-KIND塾3期卒塾。

 

取材日:2021年8月2日
聞き手:チーム・Dario Kyoto