インタビュー

爆発的に生きる【後編】

<A-KIND塾5期生>
Impact Hub Kyoto/株式会社taliki/U35-kyoto
原田岳 さん
京都での新たな仕事
京都での新たな仕事

 そうして関西での導入が成功したアオイエを、原田さんは2020年5月に退職します。そして、入り方に苦戦した地域である京都に居続けることになるわけですが、その理由はなんですか?

 アオイエの関西統括として京都で過ごすうち、いつの間にか東京が苦手になって、逆に京都が居心地よくなってたんですよね。東京は経済合理性を重視してお金が回っているけど、京都は人とのご縁を中心にお金が回っていると感じました。京都は文化や歴史を人が紡いでいくことを大切にしていると実感できました。だけど当時、京都の経済の中で、ぼくは学生や若者となかなか出会えなかった。だからまずは学生が京都の中で、起業したり、良い企業に出会ったり、弟子入りしたりするような選択肢を増やしたいと思いました。今では、京都でぼくを応援してくれる人がたくさんできたので、もっと京都に貢献したいと思っています。あと、京都ではポスト資本主義のモデルを構築しやすいように思いました。京都って人とのご縁で100年続いている企業が山のようにある。SDGsよりもよっぽど持続可能性の証明じゃないですか。京都に居続ける理由はこんなところです。

 京都は大学もたくさんあるし、若者も多いですよね。でも京都で大学生活を過ごした人がそのまま京都で就職することは少ない。ぼくも京都の大学を卒業しましたが、京都で働いている同級生はほとんどいません。京都で働くというだけならアオイエの関西に居続けることもできたと思いますが、離れた一番の理由はなんですか?

 年を重ねることで、学生や若者の気持ちが分からなくなっていたことですね。

 いやいや、まだ十分、若いと思いますよ。それでも等身大ではなくなってしまった?

 25歳になると生活も変わってくる。求めるものも、守るものも変わってくる。学生とコミュニケーションをとっていて、教えることが多くなってしまったんです。アオイエのコミュニティが自分の成長には比例しなくなった。例えば株の保有率の話ができる学生はなかなかいないじゃないですか。でも学生にとって、その存在意義は大きい。嬉しいことにアオイエを任せられそうなスタッフもいたので、卒業のタイミングだと判断しました。それでアオイエの創業メンバーとか、京都で知り合った人に協力してもらって、起業しようと思いました。京都から社会課題を解決して、街づくりにも関わるような会社をつくろうと思った。でもどうやってやるのかが見えてこなかった。正直、その当時は自分のビジョンを言語化して、サービスをつくることができなかったんです。ターゲットも定まっていなかった。ビジネスも、世界も、知らないことが多すぎて悩んでしまった。その時に中村多伽ちゃんから、株式会社talikiでの仕事に誘ってもらいました。同じ頃、Impact Hub Kyotoからも、お声がけいただいて、両方をやらせてもらうことになりました。

 A-KIND塾6期生でもあり、現在京都で注目されている株式会社taliki代表の中村多伽さんとは最初から馬が合うという感じでしたか?

 中村多伽ちゃんは本質的で、常に思考をやめない。ぼくは体育会系で、営業や熱意を語ることしかできない。同い年なのに全然違うし、尊敬の眼差しで見ていました。でも、ふと振り返った時に気づいたのは、ぼくがアオイエでやっていたことは、ひたすら人に寄り添うということ。大きな社会課題解決よりも、隣の仲間や家族をただ助け続けるということでした。鬱になった人も、不登校になった高校生も受け入れて、とにかく話を聞く。その基本的な姿勢はtalikiと近かったと思います。

 もう少し詳しく今やっている仕事の内容を教えてください。

 Impact Hub Kyotoには運営責任者ということで関わらせてもらっています。いわゆるコワーキングスペースであるだけではなく、目指しているのはコミュニティづくりに近いですね。Impact Hubは海外にも拠点があるので、そこにもつながっていきたいと思っています。
 talikiではインキュベーション・プログラムという起業家支援のプログラムを企画運営し、金融機関や起業家支援をされている他の企業といっしょにプログラムをつくっています。週1回の進捗報告会を通して、起業に向けて一緒に準備していきます。

 どちらもやっていて楽しそうですね。起業する際には、実際に金融機関の方が融資するということですか?

 めちゃくちゃ楽しいです。いろんな経歴の方といろんな事業を一緒につくれるので。もちろん投資や融資までつながる事業もあります。どちらも事業づくりという0→1を、とにかくたくさん生み出そうとしています。今の時代に合った起業家を増やして、結果的に社会課題を解決するプレイヤーを増やしたい。そしてそのプレイヤーが集えるコミュニティをつくりたい。

 0→1をやりたい人ってどんな人ですか?どんな事業を起こそうとしている人がいるのか教えてください。

 例えば、Impact Hub Kyotoには市民研究者養成塾をやりたいという大学院生がいます。今は高校生に対して探求学習を教えているのですが、研究分野に限られていた思考方法を一般化できるような塾をつくれないかと考えています。そこから研究というものがどう行われているのか、もう少し一般の人にも分かってほしいみたいですね。この事業づくりは、ぼくも意義が大きいと思っているので、サポートして、仮説検証中です。

A-KIND塾で得たもの

 A-KIND塾に入ったきっかけを教えてください。

 岩﨑仁志さん(A-KIND塾3期生)、松榮秀士さん(A-KIND塾3期生)、清水大樹さん(A-KIND塾4期生)の3人に誘ってもらって知りました。

 毎年、募集時期にこの人には入ってもらいたいなという人に卒塾生が声を掛けています。その年は3人が共通して、原田さんにA-KIND塾を体験してもらいたいと思ったのでしょうね。

 それは嬉しいですね。なんとしても行かなきゃと思いました。

 実際のA-KIND塾はいかがでしたか?

 正直、忙しすぎて、あまりコミットできませんでした。実はタイミングの良いときに再挑戦したいと思っているんです。A-KIND塾で語られる「社会動機性」は理解したいけど、しきれていないことがたくさんある気がします。

 ぼくも卒塾式の直後に同じことを思いました。劣等生だったので、次の年から3期続けて塾の手伝いをしながら聴講させてもらっています。最近になってようやく分かってきた言葉の意味もあります。A-KIND塾はカリキュラムはあるけれど、塾生一人一人によって学びのポイントが全然違いますよね。だから卒塾生に話を聞いても、感想が千差万別です。

 社会動機性は同情でもないし、共感もちょっと違う、謎が残っています。熊野さんが繰り返し使う「ポケットを変える」という表現も完全には分からなかった。

 「情理で考えて、合理で動かす」という言葉で説明するなら、「社会動機性」が情理で、「ポケットを変える」が合理で動かす実践方法だとぼくは理解するようになりました。先ほどの起業を準備している院生で例えるなら、「社会動機性」は、「探求学習はすごい。みんなに使ってほしい。これをみんなが使えるようになれば、こんなことが豊かになりますよ!」という思い。「ポケットを変える」は、市民研究者養成塾に塾としてお金を落としてもらうのか、例えば一種のテーマパークとして落としてもらえるようにするのかということかな。この場合は、教育費から娯楽費へという風に、お金の出しどころを変えてもらえるよう、どう事業をデザインするのかということではないでしょうか。この2つを両立させて商品化するのが、A-KIND塾卒塾課題であるグループワークなんだろうと思いますが、当時の結果はいかがでしたか?

 ボロボロでした。最初のアイディアはすごく良かったんですけど、準備の時間的な制約で間に合わなかった。

 初めて熊野さんに会ったのはいつか覚えていますか?

 A-KIND塾に入った時です。熊野さんには恩返しできていないという想いが強くあります。返すなら、デッカク返したい。本当は経験も積んで、思考も深めて、熊野さんの期待に応えられるようになってから会いに行きたいんです。でもtalikiで運営するプログラムの最終発表に呼ばせてもらい、早速、力を借りてしまいました。信頼資本財団とも一緒に仕事をしたいですね。それが本当の恩返しなのかなと。

 ぜひお願いします。心意気が聞けて良かったです。ちょっと急いているという雰囲気を感じるのだけど、それはなぜでしょうか?怒りとか憤りが原動力になっていますか?

 怒りや憤りが原動力ということでいうと、少し前まではそういうところもあったと思います。今は少しずつ落ち着いてきていますが、急いて見える要因としては、ぼくらがやらなきゃ、京都は、世界は変わらないって本気で思ってる、その自負心からだと思います。だから実際に生き急いでいるところもあるかもしれません。

A-KIND塾で得たもの

 疲れないですか?

 疲れてもいい。でも、最近一番怖いのが、その先の世界がイメージできていないことなんですよね。生きているうちに見られるのかも分からない。

 今の世界がこのまま続いたらこうなりそうという想像は難しくない。でもそうじゃなくて、こういう世界が理想だなというのがないということですか?

 こういう世界がいいよねというのはあるんですけど、どこまでやればその世界に到達できるのかの見当がついていないんです。

 ぼくもそこは一緒なので、ちょっと苦しいですよね。

 イメージとしてあるのは日本の社会構造の変化ですかね。社会課題の解決をビジネスで行うことってすごく時間がかかるから、いつ、その社会構造自体を変えることができて、かつ理想とする世界が見えてくるんだろうと。

 自律分散型コミュニティが日本中のあちこちに生まれ育って、一つ一つは小さいけれど繋がって増えていく。京都に、東北に、東京に、北海道に、九州に、四国に、日本中に増えていく。そのコミュニティの増殖が、ある閾値を超えたとき、オセロがずららららーと裏返っていくように社会が変わるのではというイメージをぼくは持っています。

 なるほど。面白いですね。であれば、熱量のある仲間をもっと集めたいですね。熱量だけじゃなくて、質も高くしていかなきゃならない。たぶん育くんでいくしかないんだろうと思うんです。でも時間かかるなぁと。

 たぶんそれと同じような感覚を、熊野さんはぼくらに思ってるかもしれないですね。こいつら本当に理解遅いなぁみたいな。例えば、4期生の清水大樹さんが営む合同会社なんかしたいの小学生の生徒さんたちが大学生になったときに本領を発揮できるような環境をつくっておいたら、その子たちは精鋭になってくれそうですよね。そう考えたら今やっていることは一つもムダではない。スピード感を持って、焦らずにやっていこうと思うしかないのかな。
 最後に質問です。原田さんが書いたブログを読んでいたら、「己れ」とご自身のことを呼称しています。あれはなんと読むのですか?

 あれは岡本太郎からで、「おれ」と読みます。岡本太郎がすごく好きなんです。ぼくが大切にしている「爆発的に生きる」という価値観も岡本太郎からです。積み上げることで、人間は退化することがある。経験や知識に囚われ、新しいことに挑戦できなくなったりする。そういう自信が慢心に変わることって愚かであると認識しています。積み上げたものをぶっ壊して、また0→1を始める。それが爆発だと思っています。僕自身、過去を振り返ると常に変わり続けている。喋り方や性格、住む場所も変わってきた。この情報過多の世界で、自分の欲望が揺れ動くことも自然ですよね。好きなものや仕事が変わることも良いなと思うんです。変化することこそを自分の軸とするために、「己れ」と「爆発的に生きる」を岡本太郎から拝借しています。

 原田さんに、ぴったりの言葉ですね。ありがとうございました。



(2020年10月インタビュー)