インタビュー

独りじゃ活きられへん【前編】

<A-KIND塾4期生>
一般社団法人みずとわ 代表理事
中井優紀 さん
はじめに
はじめに

矢端信也(以下、矢) 
中井さんを指名してくれたのは、前回インタビューした大槻彦吾さん(https://shinrai.or.jp/interview/20200831.html)です。大槻さんは、中井さんのことを詳しく知っているわけではないけれど、みずとわ(https://shinrai.or.jp/finance/borrower/mizutowa.html?preview=default)と経歴にも興味があるとのことでした。まず三島独活(みしまうど)栽培はどうして始めたのですか?

 

中井優紀さん(以下、中) 
岡さん(https://shinrai.or.jp/interview/20200731.html)と大槻さんのインタビュー2本、読みました。面白かった。独活は、この大阪府茨木の千提寺(せんだいじ)に引っ越してきたことがきっかけです。夫とは中学校の時に通っていた塾の同級生で、行き帰りのバスがいっしょで仲良くなりました。夫は今住んでいる家の長男。夫のお父さんは彼が学生時代に、心筋梗塞で急死したんです。ちょうどその頃に夫のお母さんも手が動きにくいと言い出して、色々と検査してALS(筋萎縮性側索硬化症)だと分かりました。そんな最中に夫と付き合い始めて、結婚することになった。

 

 中井さんの活動というかお仕事は、やはりパートナーの大介さんとの関係性が大きいですね。今日も隣に座って、お子さんたちを見てくれています。

 

 はい。結婚後しばらくは茨木の市内に住んでいたんだけど、いよいよお母さんの病気が悪化してきて、山間部の千提寺では24時間の介護体制がないので、箕面に引っ越すことになった。ただ、今も健在の夫の祖父母が90歳前後で、近くに誰かいた方がよいだろうということで、私たち夫婦が千提寺に住むことになりました。

 

 さきほど道でおばあちゃんに会いましたが、まだまだお元気ですね。中井さんは、いわゆる農村に暮らすことには積極的だったんですか?

 

 夫はここで育っているから色々と分かっていたと思うけど、私は近くのニュータウンの育ちなので農村の暮らしというものがよく分かっていなかった。「古民家で、柿とかミカンとか取り放題なんやろ、めっちゃいいやん」くらいの軽いノリです。

 

 なるほど。今の暮らしぶりから、強い志向や覚悟を持って移住したのかと勝手に思っていたけど、そうではなかったわけですね。それまではどんなお仕事をしていたんですか?

三社で働いて得た経験
三社で働いて得た経験

 その当時は関西のテーマパーク企業ですね。夫と付き合うようになったときは、まだ東京の外資系コンサルティングファームにいました。転職を考えている時に、しょっちゅう大阪に帰省していて、再会して付き合ったという感じです。

 

 具体的にはどんなお仕事だったんですか?

 

 ビジョン浸透の仕事でした。どういう形でスタッフの人たちにサービスを実践してもらうかを考えたり。当時はパークのブランドを変えた時期だった。人の心の動きを作るようなテーマパークを目指そうという風に。丁寧な接客でなくてもよい、失敗してもいいからスタッフがお客様と仲良くなれるような方向を目指していこうと。そんなコンセプトを体現してくためのスタッフの育成体系を考えたり、社内大学を設立したり、採用基準を考えたり。

 

 すごく興味深いですね。人材教育というキーワードが中井さんの中に芽生えたのはいつですか?

 

 大学新卒でモチベーションを軸に組織作りをするという会社に就職しました。私は大きな人材系企業からも内定をいただけたけど、ベンチャーの方がいろいろ経験できそうだなと思って。今は上場しましたが、まだ社員が60人くらいの規模で、大阪支社の立ち上げに新入社員で関わることができました。

 

 60人か6万人かというところで、60人を選んだわけですね。一言でいうとどんな会社なんですか?

 

 組織人事系の経営コンサルティング会社ですね。当時は他になかった、「どんな人が何にモチベーションを感じるのか」という価値観を軸にマーケティングをしているところが先駆的でした。人の想いを大切にした企業のビジョン策定から、人材育成や採用、制度を通じて、どう社内に浸透させていくかということを行いました。

 

 モチベーションごとのマーケティングですか。なかなか面白そうですね。例えば、経営陣は会社のビジョンを浸透させることが必要だと思っても、その会社のスタッフは白けているということはなかったですか?「外のコンサル会社から来た人に、ウチの会社のビジョンって言われても」みたいな拒否反応がありそうです。

 

 ありましたね。今思えば、泥臭い仕事でした。会社のビジョンを言語化するところから社員の人といっしょにやりましたし、人事制度を作り替えることもありました。関わらせてもらった会社の一人ひとりと長い時間、お話しした。それこそ小さい会社だったので、営業からコンサルまで深く関わらせてもらった顧客もあります。

 

 大学新卒からその会社に何年ですか?その後に外資系コンサルティング会社。大分、実入りが良くなったでしょうね。

 

 最初の会社に3年ですね。移った会社での実入りは実際に良かったですね。ただ転職してすぐにリーマンショックが起きたんです。

 

 あら、あの頃ですね。影響は大きかった?

 

 仕事はたくさんあったんです。ただその仕事というのが、クライアント企業のリストラの手伝い。

 

 それはシンドイ仕事ですね。

 

 シンドかった。だれをリストラするのかという評価基準を考える仕事ですから。だれをリストラするか選ぶのは、最終的にはクライアント企業ですが、色々と考えますよね。そしてリストラ対象となった方に納得してもらえるように、明確な評価基準を作りました。そのリストラ対象となった方の新しいキャリア提案やそれに向けてのトレーニングを受けてもらったり、再就職先の紹介までやりました。

 

 映画「マイレージ・マイライフ」の世界ですね。そこにはどのくらいですか?

 

 8ヶ月くらいですね。そのリーマンショックの仕事が辛すぎて。ちょうどその頃に大阪のテーマパークからお声がけいただいた。

 

 なるほど。色んな仕事がありますね。テーマパークのお仕事の方が、中井さんに向いてそうです。

 

 転職してからの仕事は楽しかったですね。ただ私たち夫婦にとっての暗黒時代はまさにその頃です。

 

 新婚生活と適性に合ったお仕事で、何の問題もないように思えます。

結婚後に訪れた試練とターニングポイント
結婚後に訪れた試練とターニングポイント

 まず一つは私が10回以上の流産を経験したんです。妊娠したら喜んで、でも流産するかもしれないから、とにかく安静にする。会社もお休み。だけど何度も流産する。それと同時に、夫のお母さんのALSの病状が悪化して、家族の介護負担はどんどん増えていく。徐々にできることが少なくなって、ご飯の準備もできなくなる。

 

 そうだったんですか。大変でしたね。パートナーの大介さんはその頃、もう独活農家ですか?

 

 育毛剤メーカーで商品開発ですね。本人は禿げてますけどね。

 

 研究者だったんですね。意外です。

 

 そんな中で夫の実家に引っ越すことに決めて、仕事の合間にひたすら家を片付けました。仕事は楽しかったけど、子どもが欲しかったので、2013年、30歳のときにテーマパークを退職しました。ちょうどその引越しの頃に、何度も繰り返した流産の原因が分かったんです。不育症という病気でした。

 

 投薬などの対処法があるものだったんですか?

 

 私の場合は、先天的に血液の凝固因子活性が欠乏していることが原因でした。胎盤の血流が悪く、胎児まで栄養が届かない。ただでさえ血流が悪いのに、安静にしてるから余計に悪化させていたわけです。だから治療は血流を良くする投薬と注射です。夫のお母さんの病気と自分の不育症で、命は有限だということを思い知らされた。だから自分自身が悔いのない選択をするしかないと思いました。そこに30歳で気づけたことは、今思えばラッキーでした。そしてもう一つ大きな出来事として、引っ越してきたこの集落の近くで、新名神自動車道の工事が始まった。

 

 先ほど、僕もここに来る時に利用してきましたが、新名神が着工する前ですか?

 

 会社を退職して、田んぼとか畑をするようになって、地域の人たちと交流して、遊びだしていた。ちょうどその頃に工事が始まりました。自分たちで一所懸命に作った野菜やお米が、収穫直前に猪に荒らされてしまった。この辺りは山間ではあるけど、それまで獣害はほとんどなかったそう。きっとダムと高速道路の工事で動物もパニックだったと思います。もののけ姫とかでは知っていたけど、開発が生活に影響するなんて思ってもみなかった。

 

 急激な環境の変化ですね。

 

 はい。その頃、家が薪ストーブなので、薪の調達のために、森の整備の勉強をはじめました。近くの里山の間伐をしているボランティア団体の講座で、森のしくみがどうなっているか、みっちり教わった。それで山の課題、里の課題、農業の課題を初めて知りました。

 

 それまでは一切、そういう価値観に触れていなかったんですか?移住したことで全てに向き合った。環境教育的な思想を持っていた人だと勘違いしていました。

 

 全然ない。私の父は経営者なんですけど、東京でバンバン仕事して、母も港区の高層マンションでの暮らしを満喫しています。だから農家になると報告した時は、心を病んだのかと心配されましたね。

 

 なるほど。獣害のほかにどんなことがありましたか。

 

 一番は「理不尽」を感じたことですかね。何十年も前に決まった高速道路は、通るといったら通るのだと。獣害被害を訴えても、工事の影響だという証拠はどこにあるんですか?というような対応。最初はいちいち腹を立てていました。話し合いに行っても府、市、工事の関係者で責任を投げ合うだけで、全く誠意を感じなかった。多少は地域住民の意向も加味されるけど、ほとんど耳を貸してはくれなかった。今となって分かることも色々とありますが、ショックでした。もっと世の中、優しいと思ってそれまで生きてきていたから。

 

 そうしたやりとりで疲弊しながら、学びや気づいたこともありましたか?

 

 当たり前だけど、自分たちの日々の生活や行いが、どこかのだれかに影響を与えているということですね。無意識ながらに自分たちもこれまでそうしたシワ寄せをだれかに背負わせていたのだと気づきました。「知らないままにだれかにシワ寄せを背負わせるのではなくて、良きも悪しきもそうした自分たちの行いを自分たちで受け止めていくような生き方」に変えていきたいと夫婦で話しました。この地域で暮らしを立てていくと決めたのも、どんな影響でもある程度見える範囲にあるから。

 

 そうでしたか。そうした経緯があっての覚悟だったとは知りませんでした。無意識だとしても、だれかに自分たちの豊かさのシワ寄せを強要するような暮らしを続けていきたくないという想いがあったんですね。