インタビュー

独りじゃ活きられへん【後編】

<A-KIND塾4期生>
一般社団法人みずとわ 代表理事
中井優紀 さん
三島独活の継承
三島独活の継承

三島独活4の栽培方法(千提寺farm.のパンフレットから引用)

 はい。どちらかというと理不尽への怒りがスタートです。そして自分たちが大きな公共事業の負の影響を受けることのショックよりも、これまでだれかにこのシワ寄せを押し付けてきてしまっていたというショックが大きかった。知らぬ間にこんなことに加担していたんだと思うと怖かった。それが2014年の夏。ちょうどその頃に長男のカンタを妊娠して、いつも流産する時期を初めて乗り越えました。これは産むことができるかもと思って、それをきっかけに夫が会社を辞めることにしました。それで何しようとなったときに、この地域で大切にしていた三島独活の最後の生産者だったおじいさんが引退を考えていることを知りました。最後の一軒だったら、初めて挑戦しても競争優位性があるのではと思って。

 

 模倣不能性もありそうですね。

 

 そうそう。林業も考えていましたけど、技術の習得が難しい。でも三島独活だったら教えてくれるから、何とかなるかもと、2015年1月に大ちゃん(大介さん)が弟子入りさせてもらった。だけど独活は始めて2年間の収穫がないんです。それで私が個人事業主で仕事しようと思って、Facebookで仕事くださいと書いたら、これまで縁のあった人たちが、いろんな仕事を紹介してくれました。しかも農業と地域に関わることという条件付きで投稿しました。

 

 それは面白いですね。それまでいっしょに仕事をしてきた方が紹介してくれたんですか?

 

 はい。農産物の六次化に関わるお仕事では200以上の商品に関わりました。それと地方のアンテナショップのPRを担当したり、すごく楽しかったですね。産後2週間でその仕事に復帰したので、カンタは大ちゃんが農閑期を利用して、育ててくれた。大ちゃんは1年目が完全に弟子入り、2年目は師匠といっしょに独活栽培。独活栽培での収入は、最初の丸2年で30万円でした。

 

 それを聞いて逆に、2年間であの特殊な栽培方法をよく体得したなと驚きました。

 

 栽培方法も難しいですが、売り先がありませんでした。当時から市場価格は今と変わらず1㎏5,000~6,000円程でしたが、農家には1㎏平均1,500円の収入しか入らなかった。大人2人が1年間フル稼働しても最大で栽培できるのは1tくらいまで。大人2人で、年間150万円の売上では、年金や副収入がないと続けられない。昔は家が建つほど儲かるものだったけれど、その当時から独活の値段は変わっていなかった。だからいただいた仕事と並行して営業活動も始めました。飲食店に飛び込み営業しました。

 

 色んなピンチが訪れる中で、江戸時代以前から続いてきた伝統の三島独活を絶やしてはならないと踏ん張ったわけですね。

 

 でもまぁよく分かってなかったからこそ、できたというところもあります。3年目の2017年で売り上げが100万円くらい。そして、最も大変なのは、農家で専業することのリスクの大きさですね。今は何十年に1回という規模の災害が、数年に1回来る。独活の場合、株(苗)自体を自分たちで増やさなければならない。2018年に独活の株も十分になって、ようやく収入が得られるかなと期待してました。その矢先、6月の大阪府北部地震によって土砂で埋まってしまい、土砂崩れの修繕が間に合わないままに直後の豪雨で水没、そしてダメ押しの台風。独活の株2/3が消滅してしまいました。

 

 苦難が続きますね。残りの1/3はどうなりましたか?

 

 大ちゃんの栽培技術が向上していたこともあって、思っていたより、収穫できました。独り立ちした1年目は室(むろ)の温度が上がりすぎて、腐らせてしまった。2年目は寒すぎて、室の温度が十分に上がらないから独活が芽を出さない。3年目が暖冬だったけど、残りの1/3をなんとか収穫できた。4年目は記録的な暖冬と高い湿度で、室の中にカビが生えてしまったけど、なんとか株も増やせて収穫もできた。師匠に教えてもらった方法だけでは独活栽培が続けられなくなってきているようです。

 

 4年目にして、守破離の「離れる」を求められているということですね。そうしたたくさんの難しい状況を乗り切ることができた秘訣はありますか。

 そんな苦しい三島独活の栽培の中で2017年に一株5,000円で独活の株を持ってもらうという「株主」制度を始めました。多くても少なくても収穫を分かち合う、良きも悪しきも共有する制度です。株主さんには独活の栽培も手伝ってもらっています。生産者と消費者という形ではなく、いっしょに作っている仲間ですね。

 

 出資・参画・利用の三つをいっしょにやってもらう仕組みですね。

 

 株主さんがどんどん増えてくれているのがありがたいです。生産も営業もいっしょにやってくれますからね。飲食店さんとも密に関われたことで、独活はどうしても付け合わせとしての材料だったのが、独活を主役にした料理を考えてくれるようになりました。今年(2020年)は、独活の収穫時期がコロナの緊急事態宣言期間で飲食店さんが本当に厳しい中だったけど、例年と同じように注文をくれました。飲食店さんも独活に思い入れを持ってくれているから、取り扱ってくれたんだと思います。みなさんに支えられています。

 

 私も去年、食べることができましたが、本当においしかった。梨のようなみずみずしさと、独活独特の香りがありますね。

 

 独活を始めたときは、技術も人脈もお金もなかったから、良い人しか寄ってこない。独活って、「独りで活きる」という漢字です。でも独活が「独りじゃ活きられへん」ということを教えてくれた。高速道路の工事を目の当たりにして、絶望していたところから始まって、独活を通して「世の中捨てたものではない」と思えた。

地域との関わり
地域との関わり

 なるほど。そういった背景があったんですね。地域のことにはどうやって関わっているのですか?

 

 農業と地域の暮らしはセットだと思っていたので、地域の中で地域のことをちゃんと考える人たちが集まるコミュニティを作りたいと思いました。地元のおっちゃんとおばちゃんたちに相談して、千提寺という村だけではなく、茨木北部地域の農村集落全体をどんな風にしていくのかということを考える「茨木ほくちの会」を発足しました。2015年2月です。そこで今の「みずとわ」の活動に繋がる出会いもありました。

 

 縁が繋がって、輪が広がっているのですね。振り返って、間違ってなかったなという感じですか?

 

 人間は8割間違えるそうなので、正解かどうかは分かりません。でも私たちは今とっても幸せなので、それで十分です。

A-KIND塾と塾長熊野との関係性

 A-KIND塾はどういった繋がりですか?

 

 「箕面こどもの森学園(現:認定NPO法人コクレオの森)」(https://cokreono-mori.com/index.html)の藤⽥美保さん(A-KIND塾2期生)の紹介ですね。藤田さんは、ほくちの会にも顔を出してくれていました。熊野さんとは学園で開かれたお話会に参加したときに初めて会いました。

 

 第一印象はいかがでしたか?

 

 私、日本の熊野さんの世代の男性に絶望していたんです。高速道路の件もそうだし、負の遺産ばっかり目についていた。でも初めて会ったとき、本当に未来のことを考えているこの世代の人もいるんだなと驚きました。私たちはある程度、地域の中で自給自足していくような暮らしを理想だと思っていた。同じような未来を考えている人を見つけて希望を感じました。それで、その熊野さんが塾長をしている塾があることを知って、応募しました。

 

 自律分散型のネットワーク社会ですね。実際に通ってみていかがでしたか?

 

 仲間をつくりたいということと、自分たちのやりたい未来を形づくりたいという2つの動機がありました。今はどちらも得られたなと思っています。

 

 みずとわをいっしょにやることになった中田俊さん(A-KIND塾4期生)ですね。

 

 中田くん以外にも支えてもらっていますね。同期のみんなには独活の営業からみずとわの活動支援まで、本当にいろんなところで支えてもらっています。同期全員、A-KIND塾で初めて出会いました。中田くんはA-KIND塾をきっかけとして、週1日くらいウチに来てくれるようになって、一般社団法人にするときに理事になってもらいました。お金周りをやってくれています。

 

 元々の知り合いだったわけではないのですね。4期生は特に和気あいあいとした雰囲気がありますね。

 

 そうですね。もちろんA-KIND塾第1回の熊野さんの講義も勉強になりました。自分の視野を広げてもらったという感覚があった。私たちがまだ言語化できていなかったところを、表現してくれていると思いました。私たちは目の前の課題や困っている人に、その都度、真剣に向き合っていた。そのミクロな現象と、熊野さんの話す大きな時間感覚のマクロな視点が繋がりました。2人目の子どもが生まれた直後だったので、いつも講義の前後に授乳するために家族といっしょに京都まで行っていました。

 

 初めての出会いから少し時間が経ち、熊野さんとの関係性はいかがでしょうか?

 

 現役塾生の時と、卒塾生として関わっている今では、熊野さんの印象は違いますね。ちょっと天然なところも見えたりして、親近感があります。みずとわの事業でつなぎ融資に共感融資(https://shinrai.or.jp/finance/index.html)を利用しました。そのときから夫のことは、こだわりの強い人と思っているみたいです(笑)。彼のあの頑固さを一瞬で見破ったのはさすがです。

熊野さんの言葉って、聞いたときに全然理解できなくても後々、ストーンと腑に落ちることがある。めっちゃ閃いた時に、「そういや、熊野さんもこんなこと言ってたわ」ってなって、なんかちょっと悔しくなることもあります。

私が悩んでいる時は、熊野さんの失敗談も惜しみなく話してくれます。こんなことに悩んだり、こんな決断をしたと話してくれることが、支えになっています。立派な経営者でなくてはいけないと、身構えていたところがあったけど、熊野さんは立派な経営者になろうとしたことを後悔してるよーと教えてくれて、めちゃくちゃ肩の力が抜けました。これまでと同じように等身大で、目の前の人を幸せにできることを事業にしていく。経済合理性と真っ向から勝負しても勝てない。少しでも人や地球や生物に優しい社会構造に変えていけるように、効率に対抗できる優しさや繋がりを豊かだと思う価値観の中でみずとわを育んでいきたいです。

みずとわの今
みずとわの今

 素晴らしいですね。みずとわの活動はいかがでしょうか?

 

 私が代表理事を務めていますが、大事なことは理事の5名全員で決めています。メンバーは50名弱です。地域資源や未利用資源を活用した事業をやっていくことはぶれていないけど、やっぱり関わってくれる人によって、やることはどんどん変わっています。出資・参画・利用を本当に実践している。

みずとわは、このみんなで改装した古民家「にんげん小屋」をベースに、地域の未利用資源と困っていることを掛け合わせて、ビジネスや遊びをつくりコミュニティを自治するということをみんなが学んでいるような組織です。例えば、地域で邪魔になっている雑草を刈った植物で染め物と織物をしたりしています。変わった素材やおくどさんを使って料理をすることも、一人でやると大変だけど、みんなで集ってつくったらすごい楽しい。捨てられるはずだった着物をほどいて座布団カバーにすることをワークショップにしてみんなで体験したり。生ごみから炭をつくってエネルギーをつくったり。手仕事部、生活部、エネルギー部、コミュニケーション部、屯田部など部活に分かれています。雇ったら高そうな面白い人材がたくさんいます。理念である「みずとわで心うごかす」ということを実践しています。

 

 みずとわには未来がありますね。新名神の工事という問題に遺恨を持ち続けて悲劇に終わらせずに、未来をつくっているというのは本当にすごいですね。地域の人とのほくちの会は現在、どんな活動をしているのですか?

 

 最初は私たち2人だったのが、こんなにと思うほど関わる人が増えて嬉しいです。ほくちの会に集まっているのは地域の方なので、年配の方が多い。その知恵や経験をみずとわに分けてもらって、遊びやワークショップにするという関係です。その辺の野草でお茶をつくったり、染物の技術を教えてくれています。他にも地域で活動している人同士が連携し、一緒に循環型のまちづくりにつながる活動をしています。

 

 素晴らしいですね。おそらく数百年と繋がれてきた技術や伝統を、継承する場にもなっているわけですね。今後のA-KIND塾や信頼資本財団に期待していることはありますか?

 

 関わってくれている人たちがみんな面白いので、もっともっと人間関係資本が豊かになっていけばいいなと思います。

 

 A-KIND塾の卒塾生は自発的に卒塾生会を開いています。2019年2月には、A-KIND塾2期卒塾生の藤田さんが理事を務める箕面こどもの森学園と中井さんの独活小屋などを訪問するツアーを卒塾生会で主催しました。あのワンデイツアーは本当に貴重な経験でした。今年も現場訪問などを続けていきたいと思った矢先にコロナの影響で卒塾生会自体をなかなか開くことができていません。今後はオンラインでも継続していきたいと思っています。

 

 ぜひ期待しています。