インタビュー

人生をかけた平飼い卵【後編】

<A-KIND塾5期生>
株式会社WABISUKE 代表取締役
岡崇嗣 さん
衝撃を受けたウインドウレス鶏舎と平飼い養鶏への道

 そこで、まずは日本の養鶏場で経験を積むという話になって、京都の養鶏場を紹介してもらって、半年間、通いました。そこが実はメキシコより、どこよりも勉強になりました。その頃に養鶏に関する資料も一通り読みました。産卵率の管理方法、日照管理の考え方、現代の養鶏技術を学びました。なにより鶏のケージ飼いにはじめて出会った。それもウインドウレス(窓なし)のケージ飼いです。普通の人は一生、経験しない施設。

 ぼくももう一つの仕事では食品を取り扱っていますが、入ったことはありません。

 もちろん徹底管理の施設もあるとは思います。でもぼくが働いていたところは埃だらけで、常に大型の換気扇がゴーっという大音量で回っている。鶏に近づいたら小さなケージの中で逃げる。逃げてもすぐ檻なんで、ケージに羽が当たってボロボロ。ホラーゲームの中みたいな環境です。ほとんどの人はぼくと同じ感想を持つと思うけど、カルチャーショックでした。

 アニマルウェルフェアとかいう言葉ではなく、皮膚感覚でこれは問題だなと感じたということですね。

 はじめて行ったときに、そう感じました。それでも海外で養鶏やると決めたから半年間の研修期間をがんばりました。2012年くらいのことです。そこで、その感じた疑問をネットで調べていたら、ちょうどヨーロッパで法律としてケージ飼いが段階的に禁止になった。養鶏、養豚、畜産全てです。2025年に完全禁止の指針が出されたことを知りました。今日が2020年なので、あと5年です。そこでまた、なぜかは分からないけどコレだと思って。ヨーロッパが家畜福祉と言って、ケージ飼いが禁止となるのに、日本はほとんど反応していなかった。

 そうか。アニマルウェルフェアなんて言葉は、当時の日本ではあまり使われていなかった。

 そこで自分の途上国支援の気持ちは、本気でやっている人に比べたら小さいと思ったんです。だけど平飼いは、人生をかけて実現するテーマだと思った。使命感を感じた。その当時、日本では市場流通できるレベルで平飼い養鶏を実現している人はほとんどいませんでした。

 ビジネスとして、成立してなかった。

 今、周りを見渡してみると仲間はいっぱいいますが、当時は普及させていこうという動きは見つからなかった。鶏鳴新聞という養鶏の専門誌があります。当時は、そこにアニマルウェルフェアなんて単語は一つもなかった。でも今、内容の三割は家畜福祉です。日本の畜産の現状が世界の目に留まりつつある。仕事にして8年目です。

 それでは、そのウインドウレスの養鶏場での研修を終えて、すぐに起業ですか?

 いや平飼いの養鶏場に入りました。そこは昔ながらの牧歌的な養鶏場でした。なぜ平飼いなのかと聞くと、その方がおいしいというわけです。実は、そこはぼくの認識とは差があって、そんなエビデンスは正直なところ見たことありません。平飼い卵とケージ飼い卵の食味をブラインドテストして、分かる人はたぶんいない。

 その辺の感覚がドライですよね。

 そこの鶏舎を一部、間借りする形で独立して自分の鶏200羽を飼い始めました。当初は食べていけないので、スーパーの深夜アルバイトで月10万円くらいは稼ぎつつ。そこから徐々にお客さんを増やして、29歳くらいでようやく養鶏で食べられるようになった。

 素晴らしいですね。

衝撃を受けたウインドウレス鶏舎と平飼い養鶏への道

 ちょうどその頃、2017年3月に、地元の宇治で廃業した養鶏場が見つかって、移転することにしました。移転については、なかなか難しい状況もありましたが、今では勉強になったと思っています。

 そこからは順調ですか?時流を掴んでいるように見えます。

 すぐには黒字化できていません。一つは、宇治に移転したときに法人化したことで、社員さんを雇い、社会保険を支払い、固定費が増えて驚きました。もう一つは、移転の際に借入れをしているので、返済がある。赤字の時期もありました。ただ2019年春ごろに京都にある世界的なホテルが定期購入してくれることになりました。海外の有名ホテルチェーンは、全世界で統一した食材のガイドラインがあります。そのホテルチェーンでは、鶏卵は平飼いのものが強く推奨されています。同時期から引合いも増えました。ただ卵を増産しようと思っても、産卵は早くて半年後。徐々に生産量も増やすことができて、ようやく需要に供給が追い付いてきました。

 良かった良かった。ようやく報われた。ただ観光業はコロナ禍の影響が大きいですね。

 そうですね。実は今年、鶏舎を増築する計画でしたが、一旦、見合わせています。

A-KIND塾との出会い

 A-KIND塾は5期生なので2018年4月からですね。こちらはなぜ受講したのですか?その時はまだ経営的には順風満帆ではないけれど、宇治移転から1年。時代が背中を押していると感じ始めて、やってきたことが報われつつあったタイミング。どなたからかの紹介ですか?

 主な取引先だったヘルプの田中雅大さん(A-KIND塾4期生)からですね。「とにかくめちゃくちゃ良いから」と言われて、応募しました。なんとなく信用している人が勧めてくれているし、受けてみようかなと。

 ちなみにヘルプの田中さんには、ぼくが「とにかくめちゃくちゃ良いから」とお誘いしました。それでは仕事について、こういう課題があったから熊野さんに聞いてみようとか、ではなく。

 そうですね。実は失礼ながら、信頼資本財団も、アミタも、熊野さんも、ぼんやりとしか知らないままに応募しました。それでA-KIND塾4回目の講義で、アミタの創業者が熊野さんで、アミタの事業はどんなことなのかが分かったんです。今は、熊野さんの経験や事業も尊敬していますが、正直なところ、そのくらいの理解でした。

 それではなにか具体的な期待があったわけではなかった。岡さんは自分のことを社会起業家とも思っていない?

 全く思っていません。ただのビジネスマンです。ビジネスの仕組みを使って、家畜福祉を広めたい。逆に家畜福祉を社会起業にしたら、普及のスピードが落ちてしまうのではないかと思います。日本ではヨーロッパとは違う形の普及が必要だと思っています。

A-KIND塾との出会い

 なるほど。A-KIND塾の中で印象に残っていることはありますか?

 はい。犯罪やDVの被害に遭われた女性の施設の運営、これは単なるビジネスでは解決できないと思いました。

 確かに収益化のハードルは、かなり高そうですね。社会起業というより社会福祉に近い。

 それまでは社会課題を解決する起業があっても株式会社でよいと思っていました。ぼくの卵が消費者の方に手に取ってもらえるのは、その卵に値打ちを感じてもらっているから。義理や寄付ではありません。何らかの付加価値を感じてもらえるから購買に繋がる。それがビジネスですよね。社会起業も問題意識が芽生えた時点で、なんとかそれをビジネスにする、商品にする、サービスにする工夫と努力が必要だと思います。その工夫がないと普及しない、社会に認められないのではないかと思っています。

 それではA-KIND塾でどんなことを学びましたか?

 色々な講義や互いの事業についての共有がある中で、最後にフリーマーケットがあって、商品化して、お金に換える。あれが良かった。あの作業があることで、本気で事業としての持続可能性を学べる場だと思いました。儲けを出さなければいけないと、本気で向き合いました。結果的にも班として、黒字で終わらせることができました。

 班の商品はどんなものでしたか?

 端切れ布を集めて、中に玄米を入れた玄米カイロです。本気で向き合ったことで、社会課題をお金に換えるということの可能性を実感しました。社会課題を商品化することは、難しいけどできるじゃないかと学びました。


 A-KIND塾の本質ですね。さて信頼資本財団には多様な繋がりやネットワークがあります。そこで財団にこれを助けてほしいとか、逆にこれだったら自分もだれかの力になれるというものはありますか?単純な発想であれば、営業先の紹介もできるかもしれない。先ほどのホテルのように同じようなガイドラインを持った企業が案外、近いところにあるかもしれません。

 なるほど。ぼくは以前にある異業種交流会に参加していました。ぼくが入っていた会は午前6時から9時の朝会で、グループのだれかに1週間に一人だれかを紹介するんです。それを5年やりました。

 そんなコミュニティがあるんですね。ということは、のべ250人をだれかに紹介した?

 そうなんです。ぼく、熱くなるタイプで、京都学生祭典でも異業種交流会でものめりこんでしまった。そこにちょっと反省もあって。結局、ビジネスの上での紹介って、責任が伴うじゃないですか。自分にもきちんと利がないとフォローも甘くなるし、難しい。

 分かります。善意であっても、中途半端な付合いをしたら、うまくいかないこともある。一方で、最初から経済的動機だけでは、人に人を紹介するのは居心地が悪いようなところもある。

 例えば、地元の小学校、中学校からの仲間が困っていたら無償で助けたいじゃないですか。そんな関係性になれれば最高だなと思います。それで大人になってから、あの時と同じくらいの密度と長さの時間の共有って、いっしょに働く以外、なかなか難しい。

 そうですね。実際にA-KIND塾の卒塾生数人で会社を作って動き始めた仲間もいます。もう一つ、岡さんがだれかの力になれるとしたらどんなことでしょうか?全身全霊でだれかを助けるというフェーズ、緊急性のあるような状況もあるかと思います。ただ皆、それぞれに現場があり、それぞれの立ち位置で奮闘しています。そんな中で、片手間でだれかを助けられることもあるかと思います。

 そういう意味では、A-KIND塾で知り合ったバザールカフェという非営利のカフェに、規格外の卵を使ってもらっています。大したことはないのですが。

 岡さんとしたら、大したことないと思っても、バザールカフェからしたら、ものすごい価値かもしれません。定期的に良質な卵が格安で手に入るのですから。信頼できる関係性があればこそ。実は、その卵で作ったケーキを食べさせてもらいましたが、抜群においしかった。

 それを聞いて嬉しいです。

 「なにか助けてほしいことはないか?」「なにか力になれることはないか?」、自然と支え、支えられるような関係性を築くことができたらよいですよね。その理想の関係性とは、信頼資本財団とはなにか?A-KIND塾とはなにか?という本質的な問いかもしれません。
さてこのインタビュー企画は、数珠繋ぎで次のインタビューのご希望を伺うことにしています。次はどなたのインタビューが聞いてみたいですか?

 一番、興味があるのは、A-KIND塾同期の大槻彦吾さんですね。豊富な人生経験が漏れ伝わってくる。確か韓国語が流暢ですよね。とにかく包容力があるし、なんであんな人格になったのかなと不思議です。

塾長・熊野にむけて

 それでは最後に、熊野さんになにかメッセージはありますか?

 実はコロナ禍になってすぐ熊野さんから、すごく優しいメッセージをいただきました。気にかけてもらっているんだと嬉しかったです。熊野さんは膨大な知識を持っていて、ぼくの想像を超えるようなアイディアをお持ちで、それだけ思考してきた時間も長いはずです。そこから出てくるちょっとした一言が塾生にとっては、起爆剤になるようなことがあるかと思います。熊野さんの言葉はそのくらいの可能性があると思っています。

 具体的になにかありましたか?

 平飼いの次のフェーズとしてフリーレンジ(放し飼い)の養鶏ができないかと考えていた時期がありました。ただ現実的に考えて、商売にならないと結論を出しかけていた。例えば鶏100羽をどこかの山で放し飼いにするとしたら、鶏には帰巣本能があるから採卵はできるかもしれない。ただその他の手間やリスクが大きすぎる。だけどそのとき熊野さんから販管費を自分たちだけで持とうとするから大変なんだと、その仕事がやりたいだれかと組んでやればできるはずだと言ってもらいました。それで可能性がぐっと広がりました。これならできそうというプランと提携先が見つかりそうで、実際に動き出しています。あの一言は大きかったです。

 次の展開も楽しみですね!