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【メンバー自己紹介22:評議員 高橋陽子(1)】

財団メンバーによるブログ一巡目の自己紹介。
事務局からはひとつのお題を出しました。 
「どんな子どもだと言われていましたか? 」

 

二巡目のお題「問題の本質」と並行して掲載していきます。
引き続きお楽しみに!

高橋陽子(信頼資本財団評議員)

 

DSC_0987私は、岡山で生まれ、2歳から高校卒業まで大阪で育ちました。2歳下の妹が一人います。妹は、いつも周りから、「可愛いね」「やさしいね」と言われていました。なるほど、と思いながら彼女のことを見ていたのですが、かくいう私は、「おもしろいね」「しっかりしているね」「さっぱりしているね」とばかり言われており、「可愛い」という賛辞とは今日まで無縁です。ただ、どういうわけか、友だちのおかあさん、母の友人など、おばさんたちに絶大な人気がありました。今でも、おばさん対応には自信があります。綾小路きみまろを見ていると、「あれぐらいはできる」と心ひそかに自負しています。

 

いわゆる外面がいい子で、外では多少我慢しているものの、家に入るなり、「もう、あの子のこと、絶対許さない!!」とわめいていました。そうすると母がいつも、「そんなに怒っていると頭に血がのぼるよ。人は必ずいい面を持っているの。だから、その人のいい面を見るようにしなさい。そうしたら、こちらにいい面を見せてくれるようになるから」と言って宥めていました。その当時は、「いやや!!」とうそぶいていましたが、母から教えられた大事な人間観になっています。また、わがままかつ意地っ張りで、父に叱られても、絶対謝らずに何時間でもじっと固まっていました。妹が「おねえちゃん、あやまってー!」と泣きながら訴えていたのを思い出します。母も手こずったことでしょう。

 

勉強は、小学生の時はまあまあでしたが、何より地図を見るのが大好きでした。勉強に飽きたら地図帳を開き、ずっと眺めていました。「どんなところだろう?いつか行ってみよう」と思うと、ワクワクして時間を忘れて空想していました。今も、地図帳で見た駅に初めて降り立った時には、ドキドキしてとても感動します。

 

小学校6年生の時には、将来は新聞記者になろう、と決めていました。外国にも行きたくて、「インターナショナル」という言葉には胸がキュッとなるほどあこがれを抱いていました。

 

それが、どこで間違ったのか・・・・・ドメスティックな人生。

 

ただ、こうして振り返ってみると、子どものころの思いや夢とはまるで違った人生を送ってきてしまいましたが、24年間も機関誌の編集をしていたり、いろいろな場所に行くと同時に、とても多様な人たちとの出会いを続ける仕事をしています。形態は少々変わっても、「三つ子の魂百まで」の通り、性格も志向もそれほど変わらずに、人間は自分を生きているのだな、と実感します。 そういえば、時々「本当は可愛いかも」「本当はやさしいのよね」と言われていました。本当は? その一ひねりが私たるゆえんかもしれません。

 

*高橋陽子評議員の紹介ページはこちら →http://shinrai.or.jp/about/about-staff/

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