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【メンバー自己紹介15:評議員 野村彰男】

財団メンバーによるブログ一巡目は自己紹介。
事務局からはひとつのお題を出しました。
どんな子どもだと言われていましたか?
このお題を絡めたメンバーの自己紹介をお楽しみに!

野村彰男(信頼資本財団評議員)

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私は駿河湾に面した静岡県相良町(現牧之原市)で生まれました。茶の生産が盛んで、遠く富士山を望む、気候温暖、風光明美なところです。父も母も教員で、6人姉弟の一番下。すぐ上の兄とも8歳も年が離れ、まるで一人っ子然とのんびり育ちました。


放課後は近所の子どもたちと集団で、陣取りやメンコ、ビー玉、相撲など考えられる遊びを夕飯どきまで楽しむのが常でした。季節ごとに連れだって、近くの山へクリやシイの実拾い、ヤマモモ採り、アケビ採りに遠征しました。貧しい時代で、子どもにとってはおやつの自己調達だったわけです。ヤマモモの独特の香りや味、炒ったシイの実の香ばしい香りや味はいまでも思い出します。


隣町の高校へ進学し2年になったとき、担任教師から「野村、アメリカへの留学試験があるから受けなさい」と声をかけられました。外の世界のことなど考えたこともなく、まして留学することなど思いもよらなかった私の人生が変わるきっかけとなる一瞬でした。静岡市、名古屋、東京の文部省(現文科省)と3度の試験を経て、運よく合格し、1961年夏から1年間、AFS留学生としてシカゴの郊外住宅地にあるごく普通の家庭にホームステイし、現地の高校に通いました。ケネディ政権が発足した年です。半農半漁の町で育った私にとってカルチャーショックはすさまじく、米国の豊かさ、目に入るもの、経験する事柄のすべてが、私を内から揺さぶりました。


ホストファミリーの温かさ、英語も十分話せない私を迎えてくれた学校やコミュニティの温かさもそうです。第二次大戦の終戦から16年しかたっていない時期なのです。留学生活の最後には各国からの留学生がみなワシントンに行き、ホワイトハウスに招かれてケネディ大統領のスピーチを真近で聞く感激も味わいました。生涯の思い出です。


その後、大学を出て新聞社に入り、やがてワシントン特派員、アメリカ総局長としてアメリカ暮らしをする中でホストファミリーや仲の良かった級友たちとの交流を深めることになりました。記者を志したのも、62年に帰国してほどなくキューバ危機があり、翌年、大学生になるとケネディ暗殺事件が発生したことと無縁ではありません。


新聞社の定年が近づいたころ、声をかけられて国連広報センターの所長として国連活動に携わり、早稲田の公共経営大学院、朝日新聞ジャーナリスト学校でのジャーナリズム教育の後、国際交流基金日米センター所長として日米の文化交流、知的交流の仕事に携わることになりましたが、多様な世界、異文化理解への目覚めが、ずっと私を支えてくれているような気が致します。


国連広報センターのとき国連と企業がパートナーとなって、MDGsの推進、温暖化防止、人権推進などの課題に取り組むグローバル・コンパクト(GC)の活動のためにネットワーク・ジャパン(GC-NJ)を作りましたが、その活動を通して熊野英介さんの熱い思いに触れ、信頼資本財団に関わって、今日の私があります。わずか数社からスタートしたGC-NJは12年目のいま加盟団体が200を超えるまでに成長しました。

 

*野村彰男評議員の紹介ページはこちら →http://shinrai.or.jp/about/about-staff/

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