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【メンバー自己紹介5:フェロー松榮秀士】

財団メンバーによるブログ一巡目は自己紹介。
事務局からはひとつのお題を出しました。
どんな子どもだと言われていましたか?
このお題を絡めたメンバーの自己紹介をお楽しみに!

松榮秀士(信頼資本財団フェロー)

483506_491534917562442_2031625579_n 「おたくはこの子にどういう教育をしているのですか?」
家庭訪問で小学2年時担任の先生がタバコを吸いながら母親に向かって放った一言だったそうです。
当時私は、クラスの班に入れず1人教卓よりも前に席があったそうです。
0班という班で、班員は1人もいませんでした。 掃除の時間は教室や廊下、トイレといった掃除箇所は与えられず、身の回りの掃除だったそうです。
「そう」という書き方をしているのは、幼少時の直接的な記憶はほぼないからです。
大人になって周りの友人が自分の幼少期の話をしてくれた時に自分との違いに気づきました。
みんな幼少期の記憶やトラウマをよく覚えているのですね。 私は瞬間瞬間のぼんやりとした記憶しかありません。
よく覚えていることは、ユニーク(変わってるね)という言葉でした。
たぶん、当時の私をみた近所の人は形容しがたく、そう言ってくれていたのかなって思います。 今から考えれば少し悪意があったようにも(笑)。
ただ、私は人と違うことが嬉しく、変わってる自分というところにアイデンティティを持っていたのかもしれませんね。

 

塾で高校3年時より講師を始めました。今から13年前です。
そう考えると塾という業界も長いですね(笑)。
その中でADHDという聞きなれない病名をもった生徒を預かることが幾度もありました。
最初に親御さんからよくよく説明を受けて預かるのですが、全員に共通していたことは、私の幼少時よりも変ではない。ということでした。
彼らの個性にしか感じず、何がしたいのか、何が見えているのか手に取るようにわかりました。
そして自分が幼少のときも同様にADHDだったのだなと理解することができました。
当時は、そういうこと一般的に言われていなかったのだと思います。 親御さんには、いつか大丈夫になるから環境だけは奪わないであげてくださいと伝えてあります。
私がADHDであったにも関わらず、環境が奪われることなく現在があるのは、初孫ということもあってか、祖父母、両親にたくさんの愛情を受けて育ったからだと思います。
また、誰かと比べられることもあまりなかったように思います。
※ADHD…注意欠如多動症

 

昨年、立命館大学APU副学長今村先生と飲む機会がありADHDの話になりました。
今村先生もADHDらしく(笑)、ADHDの人が最も向いている職種が教育業だという話で盛り上がりました。
注意欠如なので、目の前の人と話をしていても、他の場所の音が聞こえてきます。
同時にいろんな事を考える習性があるので、人と人とが磨き合うことが学びであるために、多様な問題が同時多発する教育現場において活かすことができるのでしょう。
私自身初めてADHDであることを肯定できた瞬間でもありました。


今、PaKTにおいて様々なプロジェクトを同時進行しています。
現在進行中のプロジェクトは、


●勉強した先が見える塾マナビノバ@しもがも教室・さいいん教室|大学生がツクるを学ぶ空間と学習塾を同一空間で行うことで小・中・高校生からすると将来の大学のイメージをより具体的に掴め勉強する意味が見える塾
●村・留学9月4日〜12日@久多|留学は海外だけじゃない!と日本の中山間地域において実施。9月には久多で8泊9日の村・留学。現在は久多のguide book冊子[KUTARU]を製作中
●久多シェアハウス|平均年令70歳人口80人の集落にて、住から始まる暮らし。4月から1名(23歳女子)が移住。
●DELP6月7日発表会@人間座スタジオ|Drama Education Learning Programの略。文法重視の英語から感情重視の英語教育へ 英語劇の手法をつかった英語教育。年2回の発表会を実施


たくさんの協力と一緒に、私自身ADHDだからこそ多様なプロジェクトを同時進行すること
が合っているのだと思います。
また、この全てが様々なところで互いに良い影響を与え合って良い環境が生まれています。


信頼資本財団フェロー PaKT統括/教育デザイナー松榮秀士
*松榮フェローの紹介ページはこちら →http://shinrai.or.jp/about/about-staff/

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