シンライノコトバ

「民主主義と資本主義は崩壊の道を辿っているか」

若者の選挙離れが問題になって久しく、高齢化問題が論じられて久しい。
この二つの現象が、選挙でシニア世代の投票割合が高く、その意向が反映され易いという結果を招く。
そして、日本の中山間地域では、長老政治が続く中、豊富な人生体験で出くわしたことが無い、すなわち判断が困難なことには、「賛成しない」という形でリスクを避ける保守性が生まれていくと指摘されてきた。

人口構成が逆三角形化した社会において、民主主義的多数決で合意形成を図ろうとすれば、革新的な社会変革は困難になるということか。
では、次世代のための未来は創ることが出来るのか?
一方、金融資本主義も、「成功ゆえに崩壊する」と経済学者シュンペーターは唱えた。
やがて成功の果実や方程式に依存する大企業病になり(たとえ大企業になっていなくても)、身動きがとりにくくなり、市場のスピードに乗り遅れていく。
そして、その崩壊への道を打破するのが「革新・イノベーションである」と説いた。
この「創造的破壊」という西洋的な技術は、明治維新後現在に至るまでの金融資本主義で、一定の力を示してきた。
しかし、人間社会という視点で見れば、日本での「創造的破壊」は人為的に起こすものではないと私は考えている。

日本のように天変地異によって自然が社会を攪拌する国では、「創造」と「破壊」という対極化より、「創造」と「破壊」の「間」のグラデーションのような変容的事象が経済的営みも含む社会を自然の四季のように変えてきたと捉えているからだ。

今、日本では、市場の飽和や人口の減少によって消費が縮んでいく中、イノベーションを起こさなければ、経済は収縮するとよく言われる。
しかし、技術的革新を起こして市場に創造的破壊が生まれても人間が幸福感を感じられる社会が到来するとは思えない。
なぜなら、我々は、物質的飢餓貧困を解決しても精神的飢餓貧困に悩む事を既にその経験から知っているからだ。

物質的飢餓貧困を追放した近代は、金融資本主義と民主主義を拡大していった。
そして、現在、日本を筆頭に先進国のほとんどは借金大国となり、消費は縮小し資本主義は収縮している。

また、多数決を重視する民主主義においても、日本のように高齢化が進めば、その世代の利益誘導に陥り易く、資本主義同様成功すればするほど、次世代への貢献が生まれにくい状況になっている。

つまり、消費縮小の中でも、資本主義が、情報に関する技術分野をはじめ様々な分野で革新的商品を生産し続け、市場の飽和状態が生まれれば生まれるほど、情報が消費を創り出す消費社会となり、不必要な欲望を喚起して市場を創る社会は、自ら考えて判断し創り出す社会から、誰かによって並べられたものを選択する社会へのスピードを加速し、新しい社会を創造する力がなくなり、更に高齢化の中、民主主義も崩壊する。

資本主義も民主主義も機能不全になった社会の未来はどのようなものか?
西洋発の創造的破壊を受け入れるのか、日本の創造的変容を受け入れるのか?

創造的変容で資本主義と民主主義を活性化するということは、多数の高齢者が消費すればするほど、次世代の社会が物質的にも精神的にも豊かになる商品を開発するということだろう。

かつて日本で生まれた為替手形が流通すればするほど、信用が拡大したように、世界初の先物取引米相場が活況になればなるほど、飢饉の発生が緩和したように、社会的行動動機をもたらす社会的商品を開発し、その商品が市場を席巻すればするほど、物質的満足と精神的満足が拡大し、徐々に社会を変容させ、資本主義と民主主義の融合がはかられ、各々の機能回復が実現していく未来に向けて歩んでいかなければと思う。

vatican-594612_640
2015年6月
熊野英介

ページトップに戻る