シンライノコトバ

伝統は奉仕である。

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伝統の始まりは、どんな時だろう? そして終わりは、どんな時に来るのだろう?

 先日の財団定番企画「そもそも談義~そもそも伝統とは?~」を終えて、

伝統の拡大と終焉を考えて見た。


 神との関わりにおける伝統の始まりは、部族同士の生活圏拡大による争いを中和し、地域を平和に導く為に、現状の生活より上位の幸せな概念を創造しようとしたことだと言われている。神に奉仕することは、地域を平和にし、生活の安定につながった。その奉仕の型が神事になり、その伝統を守ることが地域を守ることに繋がった。しかし、こうした伝統を終焉させる危機は、奉仕を否定する経済主義、マネー資本主義、工業主義、科学主義いう近代文明の新しい伝統によって生じた。


 民族、国民を主体とする場合の始まりは、各々のアイデンティティを守るためであり、その伝統に奉仕する儀式や言語や文化終焉の危機は、加速化するグローバル化によって生じた。


 地域を主体とする場合の始まりは、民族、国民の場合と同様アイデンティティーを守るためであり、過疎化と広域化によって劣化が生じた。


 そして、家族制、氏族制を守る伝統は、財産の増大や職業の維持という防衛の技術として確立して行き、その終焉は家族観の変化を作り出した個人主義の拡大によって生じた。


 つまり、マックスウェーバが言うところの敬虔な宗教心としての清貧と勤勉が、産業革命のエネルギーになり、近代文明を作りだし、合理主義、効率主義や広域化、グローバル化や個人主義や自由主義が、伝統を劣化させ、希釈させ、破壊させていっている。その結果、人々はつながりを失い、不安を増幅させている。


 伝統継続のための行動動機の本質である奉仕行為という自己犠牲にょって、自らの存在に対する社会の認知を感じ、自己肯定感が生まれ、受容欲求が満たされる。そして孤独感が薄れ、他者と共感しあい、生きがいが維持されていく。このように存在の不安を消していく( 生命や財産の確保や保持 )の為の防衛本能に基づく奉仕が、幸福を社会的なものにした。


 伝統とは、人間愛の持続を技術的に可能にした社会制度ともいえる。

 こうして考えていくと、共同体への奉仕欲求という、人間が本来持っている社会動機性を商品や会社の品質にするソーシャルビジネスは、新しい社会の伝統になる予感がする。

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