シンライノコトバ

【 仲間を探し続けてきた】 〜 第4回信頼デイを終えて〜

※ 信頼資本財団設立の理由を、信頼デイ第1部でも話したことを中心に記します。
個人的な話にも触れることをお許しください。

 

何故、信頼が資本になると考えたか?  いや 何故、信頼を資本にしたいと思ってきたのか?
私の人生は、「人間は信じられるのだろうか?」という問いの繰り返しでした。
もちろん、この場合の人間には、自らも含みます。

国家が、自衛という名の戦争を起こし、国土が焦土と化し、国の仕組や価値観が劇的に変わる中、社会への信頼が崩壊した時代を生きた祖父母そして父や母。
皆、多くの日本人と同様、時代の不合理や理不尽さに翻弄された人生だったと思います。祖父は42歳、父は46歳で他界しました。
4歳で祖母に預けられ育った私は、親の愛情という価値が、想像力を使わないと分からない育ち方をした人間の一人です。

15歳の時、駅前の本屋でユージン・スミスの写真「ミナマタ Tomoko Uemura in Her Bath」に出会い、不合理、理不尽の正体を見た気がしました。
iwo_jima_amtracsその正体とは、「弱い者いじめ」。
強者が弱者を支配する欲望の増幅。
国家・企業・地域が「弱い者いじめ」をする時、発言をしても受け取ってもらう先がなく、沈黙を強いられる人々が増えていきます。
水俣病も最初は奇病と言われました。「どこのお生まれですか?」と問われ、「熊本県水俣です」とは答えられず、「九州です」としか答えない人が増えたそうです。
同様に、福島の浜通りが故郷で「東北です」としか答えられないという人が居ます。
かつて広島や長崎でも同じことがあり、遺伝と言われたハンセン氏病も同様でした。「部落」や人種、セクシャル・マイノリティの差別も沈黙を強いることになり、親族に犯罪者や自殺者や精神疾患を持つ人達への差別も同様に当人達に沈黙を強いてきました。
言論の自由という名の下に、徒党を組んでなされる弱い者いじめのヘイトスピーチも同じ構造だと思っています。
かく言う「親のいない子」だった私は、幼少の頃、「お父さんは何をしているの?」「お母さんの歳は?」等と聞かれるのが辛かった!
今にして思えば、多くの人と同じではないとして、欠陥がある規格外品扱いをする世間から逃避したい気持ちが、常に鬱積していたのだと思います。

舛添前東京都知事は、「法律は守っている」と何度もテレビの前で繰り返しました。
『水俣』の写真集を出したユージン・スミスは「法律さえ守れば社会的責任を果たしているという倫理観が公害を引き起こすのである」という言葉を遺しました。
自分と異なる部分を探し出してはそこを攻撃する「弱い者いじめ」は、法律に反していないのだから構わないのだという居直りまでも正当化しているように見える時があります。
これでは、生きづらい人間が増え続けるばかりですが、これが人間の本質なのかもしれない、そんな思いが頭の中を占めていた時期もありました。
しかし、弱者をいじめることが人間の本質にあるのなら、何故北極圏から熱帯雨林や砂漠にまで、人類は集団で住み続けられるようになったのか、どんな動物よりも未熟な状態で産まれてくる人間が、何故こんなに繁栄したのかと考えました。
それは、命をつないでいくために未熟な子を産む身体になり、その出産ゆえ、仲間と共に育てる社会的な動物として発展し、進化したからだと知りました。
つまり、すべての人間は「弱者」ではないのか、そして、弱いからこそ仲間を必要とし、仲間から愛してもらうことを求め、自らも仲間を愛し、社会を形成していく動物なのだと思った時、そうであれば、弱い者いじめが溢れているように見える現代社会が、何かの原因で誤作動を起こしているのではないかということにも思い至りました。

私は、37年前に社会人になってから、「人間性を喪失させるもの、すなわち誤作動を発生させるものの正体を見つけ、それを修復していく方法を見出したい」と最近になって言語化できるようになった探求心とでもいうものを持ちながら今日まで歩んで来ました。
最初は、遠くに見える高い高い希望の山を目指して道を歩み始めたわけですが、途中、一人二人の仲間と一緒になりました。1979年のオイルショックからの道は特に険しく、山あり谷ありでしたが、それでも多くの仲間が増え、共に山を登り続けると、我々だけだと思って目指していた山の横から登って来た仲間や裏側から登って来た仲間と出会うことが増えて来ました。
また新たな峰が見えてくるのでしょうが、あちこちで仲間を見つけられるようになった今、ひとつの頂上がもうすぐそこに在ると実感しています。

信頼資本財団は、「人間は信じられるのだろうか?」という自らの問いに対し、人間は信じられる、それをより感じ易くし、生き易い社会にしていくことに資する組織をつくろうと考え、2007年から準備をはじめ、2008年設立作業中に信用収縮と言われたリーマンショックを経験し、翌2009年に設立しました。

事業内容としては、自然資本と人間関係資本を増幅させる社会的事業に、無利子無担保無保証で融資をする共感融資。現在27団体の実績がありますが、どこも焦げ付きなく返済をして頂いています。そして、大口の融資に対しては京都信用金庫さんと協働しているソーシャルビジネス共感融資で対応しています。
また、指定助成をする共感助成、社会的事業を発展させる人材を育成するため、「消費者」の潜在的満足を顕在化させる役割である商人のマインドを学んでもらう「A-KIND塾」や潜在的リスクを顕在化させる役割である行政職の在り方を共に模索する「未来設計実践塾」という学びの場、また、本質的課題を仲間と思考する「そもそも談義」や「ソーシャルシネマダイアログ」、具体的な課題解決行動を皆で見つけていく「シンライノテーブル」や助け合いのライフスタイルを現場で体験していく「シンライフスタイル」などの活動をして来ました。
8年間の活動を通じて多くの仲間との関係性が育ち、また支えて来て頂きました。皆様に心から感謝いたします。img_0345
これらの関係を点と点ではなく、有機的なエコシステムに出来ないかと考え、相互扶助の関係を形にするためにweb上に知恵知見を活用し合う場を来年から設置します。
ぜひ信頼衆として登録し、当事者となって参加して頂きたいと思います。

一方、事業を進める中、ソーシャルビジネスがブームになってはいないかと危惧する局面が増えました。
かつて、IT事業ブームや環境事業ブームを経験してきた事業家としての懸念です。
社会企業や非営利組織で努力している人達を、ITや環境事業の旗手と言われた人たちと同様、大手投融資マーケットやマスコミがスターとして取り上げ、商材化して、当事者の時間や労力を知らぬ間に消耗させてしまうことを危惧します。
マスマーケットやマスメディアに踊らされてしまうソーシャルビジネスでは、持続可能社会を構築出来るはずがありません。
社会的動機性で顧客を開拓する「稼ぎ」と、仲間と共に市場のソーシャル化を進める「務め」が出来る事が重要です。社会や時代を持続可能な方向に構築すべく、活動をしていって欲しいと願っています。

信頼デイにおいて、「沈黙を強いること、強いられることのない社会を目指す」と宣言しました。信頼資本財団もまた、社会的事業の担い手の一つとして、浮足立つことなく、しっかり歩みを進めたいと思います。
信頼デイには、南は屋久島から北は気仙沼までの多くの仲間が集まって来てくれましたが、持続可能社会づくりという普請の「務め」に参加し、社会環境を自ら勇気をもって生み出していく仲間と更に出逢う機会が増えていくよう努力していきます。

15歳の時「人間は信じられるのか?」という問いを持ちました。
多くの仲間を得て、「人間は、信じられる」と確信出来るまでに40年余りの時がかかりました。
つくづく我が人生は仲間を探し求める人生だったと思います。
「凡人集まりて、非凡を成す!」
当事者のポジションで持続可能社会づくりの【大普請】に参加して共に未来を築いていきましょう。

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(「第4回 信頼デイ」は無事に終了しました。ご参加くださった皆様、ありがとうございました。)

 

 

2016年 11月

信頼資本財団 理事長 熊野英介

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